2月が1年でいちばん苦手だ。こちら雪に閉ざされた土地では2月は冬の折り返し地点なので、まだまだ寒々しい季節が続くのか……とうんざりする。なので花の写真でも見て気分を上げようと思い、写真フォルダから去年ベランダで咲いたクレマチスの写真をピックアップ。2016年の秋からクレマチスの苗を買って育てて去年はじめて花をつけたのですが、私以外だれも見ないマンションのベランダで咲いていて不憫だったので、まあ見てやってください。現在は枯れ枝で生きているのか死んでいるのかわからない状態なんですが(よく見れば新芽がところどころついているけど)。

 

■八橋(パテンス系 5月19日開花)

八橋

 

 京都の銘菓みたいな名前の品種。つぼみのついた苗を春に買ったので、いちばん最初に咲いた。和紙っぽい質感にエアブラシを吹きつけたような色合いで、ベテラン女優のような品格のある艶やかさ。

 

八橋

 

 後ろすがたが超セクシー。よっ! 大女優!

 

■白万重(フロリダ系 5月22日開花)

白万重

 

 クレマチスに興味を持つきっかけとなった品種。これを咲かせたくてはじめたんです。しかしわりと寒さに弱く、4月に降った雪で元気を失って成長が遅れるはめに。寒冷地では場所によって越冬できたりできなかったりするらしく、現在はすでにご臨終疑惑が。前の冬は室内で越冬させたんですけど、今回は枝が伸びて部屋に入れるのがめんどうで、ベランダに放置しているので……。

 

白万重

白万重

 

 咲きはじめはグリーンで、じょじょに白くなっていく。外側の花弁は途中で散って、中央だけ残って八重咲きっぽくなります。

 

■大河(フロリダ系 5月27日開花)

大河

 

 去年のMVP候補。グリーンの地色に紫を刷毛で塗ったような色合い。たくさん咲くし、外側からゆっくり開いていって最初と最後ではまったく違うすがたになるので長く楽しめる。写真で見るとかなり派手だけど、実際は花のサイズは6〜10cmほどなので大きすぎず、ほどよい感じ。

 

大河大河

 

 色はだんだん薄くなっていきます。いい花なんだけど、しかし、散るときに激しくちらかるというベランダガーデニングには致命的な欠点が。

 

■流星(インテグリフォリア系 6月3日開花)

流星

 

 EXILEの弟分の曲名みたいな名前の品種。わずかにシルバーがかった薄紫色の小ぶりの花が、とにかくいっぱい咲く! これも花弁の先端にエアブラシを吹いたみたいな模様。途中でベランダから巣立って地植えにしたのですが、短い休みをはさみながら冬近くまで咲き続けた、華奢に見えて超ずぶといやつです。

 

■這沢(テキセンシス・ヴィオルナ系 6月29日開花)

這沢

 

 こんな壷形のクレマチスもあるんです。這沢はとにかく名前が好き。今後べつのペンネームが必要になったら這沢と名乗りたいぐらい。ころんとしたかたちで、ピンクと白のツートーン。

 

這沢

 

 右側のもけもけしたのは種です。クレマチスは花のかたちはいろいろだけど、種はだいたいこんな感じ。ここからさらに毛羽立ってもけもけになる。

 

這沢

 

 白万重との共演。新進気鋭の若手女優を引き立てるバイプレイヤー感。

 

■押切(テキセンシス・ヴィオルナ系・6月29日開花)

押切

 

 這沢よりも少し長細くて、赤と黄色のツートーンの押切。ギャル雑誌の読者モデルから「CanCam」モデルになったひとと同じ名前ですね。レザーっぽい質感が格好いい。

 

押切押切

 

 這沢&押切コンビ。

 

 クレマチスはキンポウゲ科のつる植物で、系統がたくさんあり花の形状もさまざま。コレクション欲とベランダスペースと私の育てキャパシティが三つ巴となって争うはめに陥っている。トレリスやフェンスに絡ませるのが一般的だと思いますが、私はベランダの壁に火で溶かして接着するタイプの金属製フックをつけて、それに麻紐を張って誘引しています。このフック、再度熱したら外れるはずだけど、もしも取れなかったらどうしよう、と賃貸暮らしの不安。

 あともう1種あるんですがそれは去年はまったく咲かなくて、今年に期待したいところ。ほかにも秋にいくつか買い足したので、さっさとあったかくなって花を見せてほしいものです。もう冬は飽きた。

 選挙が好きだ。エンタメとしての、祭りとしての選挙が好きだと公言しようとすると、「選挙や政治とは真剣に対峙するべきであり、面白がるものではない」という声が脳内で聞こえてきて躊躇を感じるが、都知事選を前日に控えていることだし、どう好きなのか説明したいと思う(けっこう長文になります、ご用心)。

 

 選挙は人間がおこなうもので、人間模様からは物語が生まれる。そして私は物語が好きだ。孤立無援で闘う泡沫候補も、大組織の複雑な力関係やしがらみの渦中にいる有力候補も、どちらにも面白みがある。

 

 エンタメとしての選挙、というとまっさきに思い浮かぶのは三島由紀夫の『宴のあと』だ。作品そのものよりも発表後のプライバシー裁判のほうが有名だが、シニカルで面白い選挙小説である。この小説からは「日本の選挙や政治なんてこんなもの」という諦観が垣間見えるのに、なぜ三島は思想に傾倒してあんな晩年になっちゃったのか……と口惜しく思うが、政治を信じていなかったからああいう行為に出たのだろう。
『からっ風野郎』(1960年公開の映画。主演三島由紀夫、ヒロインは若尾文子)の出演だとか、三島は自分が物語のなかに入りたかったひとなんだろうなと思うし、「自分がつくり上げた物語の主人公として死にたい」みたいな理想があったんだと勝手に理解している。主義主張には賛同できないが、あの悲惨で独りよがりな最期も含めて私は三島が好きだ。
 市ヶ谷の自衛隊駐屯地のバルコニーからクーデターを呼びかけたあのとき、かんじんの自衛隊員たちは昼どきで空腹だしヘリコプターのせいで三島がなにを喋ってるのか聞こえないし、早く終わってほしいと思っていたというエピソードも悲壮で切なくていい。

 

 テレビ東京の池上彰の選挙特番も選挙エンタメとしてすっかり定着した。私は投票日の夜は選挙速報を流しているすべての局をザッピングしながら見ているが、ついついテレ東を見ている時間が長くなってしまう。池上氏の番組のいちばんの見どころは当選した政治家や各党党首へのインタビューだろう。釣り針にぱくっと食いついてしまう政治家を見ると「器がちっちゃいなー」とがっかりするし、スマートにかわすさまを見ると「このひと、思ってたよりもクレバーなんだな」と評価が上がったりする。
 引っかけ問題みたいな意地の悪い質問は卑劣ですらあるが、選挙用のアルカイックスマイルが剥がれて素顔が垣間見えるのは単純に面白い。(池上氏は嫌われて憎まれることをみじんも恐れていないことがすごいと思う。私はたぶん死ぬまでその境地には辿り着けない)

 

 さて、今回の都知事選。都民ではない私(北海道民です)は「だれに投票しよう」と悩む必要がなく、さほど罪悪感を覚えずに楽しめる。(とはいえ、東京の決定は全国に波及するので、そんなに他人ごとではないのだけれど)。
 3人の主要候補で、物語的にいちばん面白みがあるのは小池百合子氏だろう(面白みがある=支持しているということでは必ずしもありません。って投票権がないんだからこんな予防線を張らなくてもいいのだけれど)。告示直前で折れ、涙ながらに支援者たちに出馬取りやめを伝えたという宇都宮氏のまっすぐさとつらい挫折にも私はすごくぐっとくるのだが(年齢的に今回がラストチャンスだったかもしれないのに!)、残念ながら候補ではないのでここでは除外する。

 

 先日、石原慎太郎氏が小池氏に対して「大年増の厚化粧」と言って物議を醸した。これはうんざりするような旧時代的な性差別発言だが、私は彼女をテレビで見るたび「ユリコ、人相悪くなったなあ……」と思っていた。人相とは不思議なもので、生活や思考がすぐに人相に表出してしまうひともいれば、どんなに乱れた私生活を送っていてもつるりとした顔つきのまま、というひともいる。

 小池氏の人相が悪くなったのは、おそらく都議会のドンを自分の敵と定めたためだろう(都議会のドンがどういう人物なのかという話は、いま私が喋りたいことではないので知らなかったらググってください)。鬼を倒すには自分が鬼になるしかないということなのだろうか。彼女の思想や政策や手腕などはさておき、元「芦屋のお嬢さま」が鬼を倒すために鬼になる女戦士というのはぞくぞくする。

 

 小池氏の物語で良い味を出している登場人物といえば、若狭議員だ。小池氏を支援したら除名を含めた処分をすると言って締めつけようとする自民党都連に「除名できるなら除名してみろ」と反旗をひるがえした、元東京地検特捜部の衆議院議員である。
 彼は小池氏の応援演説で「すごい惹きつけられている」と恋の告白じみたことを言い、「全然、(恋愛などの)問題ではないですよ」と照れ笑いし、「百合子、百合子って数え切れないくら言ってる。こんなに女性を呼び捨てにできることはうれしいことなんですが、選挙後は小池都知事と呼びたい」と浮かれている。
 この蜜月感。アドレナリン出まくってる感。私はひととひとが親密になり蜜月を迎えるがやがて憎しみが生まれ殺しあいに発展する、みたいな物語が大好物なのだが(『仁義なき戦い』みたいなことです)、こんなに愛がスパークするところを見せつけられると、すごく勝手ながらその後の破局といがみあいに期待してしまう。

 

 主要3候補ばかり取り上げられがちな都知事選だが、私は選挙の真の主役は泡沫候補だと思っている。おそらく戻ってこないであろう供託金300万を払って世に訴えたいことがあるひとたちだ。なんてピュアなんだろう(ただの目立ちたがり屋もいるかもしれないが)。今回は18人も出ているのでありがたい。
 なかには眉をひそめたくなるようなことを言っている候補もいるが、それでも全体を見ていると「世のなかにはこんなにさまざまな考えのひとがいるんだなあ」と嬉しくなる。思想は十人十色であるべきなのだ。多様性を持たない生物は滅びる。

 

「私の公約はただひとつ。『NHKをぶっ壊す!』でございます」とNHKの政見放送で笑顔で言い切った立花孝志氏(NHKから国民を守る党)がキャッチーさでは一段上だが、武井直子氏の「天皇制を廃止し、今上陛下を初代大統領に」という政策には度肝を抜かれた。廃止論者はめずらしくないが、そこから「大統領に」という飛躍は超アクロバティックだ。どこにでもいる近所のおばちゃんっていう雰囲気の女性が、こんな斬新な思想を持っているということに驚かされる。毎朝ゴミ捨てのときに挨拶を交わす名前も知らないおばちゃんって感じなのに!

 

 すっかり泡沫候補界の有名人となったマック赤坂にも触れたい。『映画「立候補」』(マック赤坂をはじめとする泡沫候補を取り上げたドキュメンタリー映画)で、紙パックの日本酒をちゅ〜〜っと呑み干してから街頭に立ち選挙活動をする場面を見て以来、私には彼がなんだか格好良い存在に見えてきている。ひとには理解されずあざ笑われる行為を、素面ではできないのに高額の供託金を払って続けている孤高の人物。ひとによってはただのアル中ジジイじゃないかと思うだろうけど。
 マック赤坂は以前から「同じ供託金を払っているのになぜ一部の候補だけを大きく報道するのか」というようなことを訴えてきた(そもそも供託金は、金銭事情に関係なく出馬できるようにもっと安くするべきだと思う)。数日前、「報道ステーション」で泡沫候補18人の選挙活動をVTRで紹介し、増田氏・小池氏・鳥越氏を「このほかご覧の3人が立候補しています」と省略しているのを見て、奇矯なひとの意見であっても、訴え続けていればやがて届くのだとちょっと感動してしまった。「とりあえず紹介はしときましたからね」みたいなアリバイづくり的扱いではあったけれど。

 

 アドレナリン全開で選挙活動をしている候補者を見ると、あまりに楽しそうで、議会制民主主義の国に生まれたからにはいちどは出馬してみたい! とうっかり思ってしまう(すぐに冷静になるが)。政治家はみんな、選挙が好きなんだろうなと思う。お金がかかるし体力的にハードだろうけど、それでも。

 

 選挙が近くなると必ず「選挙に行こう!」と訴えるひとがわらわら湧いてくる。選挙権が18歳以上になってからは「若者よ、選挙へ」みたいな話がいままで以上に語られている。だが、頭ごなしに言われて「そうか、行かなきゃ!」と素直に受け止めるならそれは若者じゃないし、「政治に参加することの意義」みたいな正論で説得されるようなひとはすでに選挙に行っている。それよりは、「選挙ってじつは楽しいんです」ということを語るほうが効果があるんじゃないか。良識のあるひとからは不謹慎に見えようとも。

 

 私は、投票とはパーティのビンゴカードみたいなものだと思っている。なくてもパーティじたいは楽しめるだろうけど、カードを入手して参加したほうがより楽しい。世のなかには愉快なパーティよりもつまらないパーティのほうが圧倒的に多いけど、それはさておいといて。

 恥の多い生涯を送って来ました、というのは太宰の『人間失格』の有名な一文である。相対的に見て自分の人生は恥が多いほうなのか少ないほうなのか判断できないが、恥について考えるとき、私はいつもゴージャス松野を思い浮かべる。

 ゴージャス松野とは、2000年ごろのミレニアム時代にワイドショーを賑わせた人物だ。女優の沢田亜矢子の夫でありマネージャーだったが、DVで訴えられ、泥沼離婚騒動に発展した。離婚成立後は美容整形したりホストクラブに勤務したりプロレスデビューしたりと、キワモノとしてテレビの見世物になっていた。そういう活動の一環としてアダルトビデオにも出演していた。私は10年以上前にそのAVをラブホテルのテレビで観たことがある。

 棒読みの寒いモノローグが全編にわたりちりばめられている、ドキュメンタリータッチの作品だった。女性を背に乗せお馬さんになって臀部を叩かれながら四足歩行したり、パッヘルベルのカノンをBGMに歌舞伎町を歩きながら珍妙な台詞をカンペを読んでいるような口調で語ったり、ひりひりする映像が目白押しで「観る拷問」といった様相を呈していた。極めつけは、いざ挿入というところでうまくいかなくなってしまい、「ひとがいると緊張するから」というようなことをスタッフに言って撮影を中断させるくだりだ。結局、スタッフを排除して固定カメラでの撮影で終了するのだが、仕事に徹するプロ意識あふれるAV女優とのコントラストが印象的だった。

 観たときはただの嘲笑対象でしかなかった。だが、それから年月が経つうち、私の頭のなかで意味を持ちはじめた。たとえば小説を書きながら「苦心して恥をかくなんて私はなにをやっているんだろう」と思ったとき、あんなに無様に恥を晒している人間がいるんだから、とゴージャス松野の存在を思い出して自分を励ます。恥なんてたいした問題じゃないのだ、と私の内なるゴージャス松野は言うし、事実それは正しい。

 ここまで書いてから検索してみたところ、DMMにそれらしきAV(18歳未満は見ないでね)があったので、300円払ってストリーミングで視聴してみた。記憶違いしていたところも多々あった。10数年ぶりに鑑賞した私は「思ったほど痛々しくないな」と感じた。10数年のあいだに、世のなかにはもっと痛々しく恥ずかしい事柄がたくさんあると学んだのだろうか? あと、ドキュメンタリーではなくフェイクドキュメンタリーなんだな、と理解した。当時は演出に気付かないほどピュアだったのだろうか?

 その後松野氏は、鬱病を患ったり肝不全で心肺停止状態になったり僧侶になったり整形崩れで顔がちょっとすごいことになっていたりプロレスを続けたりしている。そもそも福島の置屋の息子として生まれ育ったらしい。「置屋の息子」という言葉には特別な物語性がある。最後に、AVのなかの松野氏の語りを引用したい(文章で読むよりも、抑揚のない棒読みを聞くほうが味わい深いのだけど)。
 

「誤解を恐れずに言うと、ひとから誤解されるということは、そんなに怖いことじゃない。自分のこころのままに生きるということは、つねに戦い続けるということだから」

「AV初絡みが終わった。やたらと照明が明るく、私の邪悪なこころまで白日の下に晒された。緊張し、口が渇いた。こんな私をあなたは、そしてあいつはどう見るんだろう」

「宴のあとの寂しさが胸に迫る。堕落を目論む思いすら、快楽に溺れたいまの私には遙かかなたのことだった。私は決して強い人間ではなかった。不十分な人間だからこそ(ここで囁きボイスに)悩み続けている」