先日近所でやっていた骨董市で、古い雑誌を購入した。
明星グラマア表紙
「明星グラマア」、昭和32年発行。これは単独の雑誌ではなく、「明星」の付録らしい。カバーガールは雪村いづみさん。かなりきわどい衣装。

明星グラマア中面
 かしまし娘って、正しくはこの表記だったんですね。姦し娘。

明星グラマア中面
 特集のタイトルは「あなたのグラマア度は!?」。

グラマア《GLAMO(u)R》〈名詞〉魅力、魔力、魅惑…………
英和辞典をひくと、こうでています。
どうやら、わが国では“裸体美”とでもいった意味にとられているようですが、それは大きな誤解といわなければなりません。そこでこの記事は、「グラマア」の意味を考えるとともに、百万女性読者がより「魅力ある女性」になることをねがって、あなたへおくる――魅力のノート――なのです。

 と力んだ前説が載っているが、編集部の啓蒙の甲斐なく、21世紀の日本においてグラマーは“裸体美”どころか“肥満ぎみ”の婉曲表現としても使用されている。

明星グラマア中面
 これがグラマア度テスト表。

(一)あなたが洋服などを新しく作る店は、いつもおなじですか。
(イ)同じ店です。
(ロ)これといってきまっていない。

(二)あなたが洋服などを新しく作るとき、デザインはデザイナーにまかせますか。それとも自分できめますか。
(イ)自分できめる。
(ロ)デザイナーにまかせる。

 初っぱなから、既製服しか買わない現代人には回答できない質問が並ぶ。

明星グラマア中面
 これは「レコードはなぜ売れぬ」という記事。CDが売れない時代と言われて久しい現代にも通じるテーマ。「まず何よりも良い作品が少ない」「企画の甘さ」「歌手の不勉強、不節制」とおもにコンテンツじたいの問題を指摘しており、「YouTubeなどで満足してしまう」「データをダウンロード購入しているから」「娯楽にお金を使わなくなった」などコンテンツの外に原因をさがしがちな現代の思考を反省させられる。

明星グラマア中面
 読み切りのユーモア小説「恋とはいえぬ恋物語」。関西弁の会話が小気味よい、軽妙でチャーミングなラブコメだった。

明星グラマア中面
 広告。睡眠中鼻が高くなる特許隆鼻器アイ・アイ。私は鼻がとても低いのでぜひモニターになりたい。

中学イタズラ物語 表紙
 先日紹介した秋元文庫ファニーシリーズの、ほかの本を入手した。タイトルは『中学イタズラ物語』。見よ、このカバーイラストのなんともいえない味わい! 発行は昭和51年。昭和51年というと、少女マンガでは『ポーの一族』が完結した年であり、『風と木の詩』が連載開始した年だ。発行当時にはすでに、このイラストのセンスはそうとう古かったのは……? と失礼ながら思う。

 内容は短篇集で、どれも東西中学という名の学校に通うイタズラ好きの男子二人組が主人公になっている。『美味しんぼ』の東西新聞社の元ネタがここに!(たぶん違う)
 この小説のいちばんの特徴は、なんといってもダジャレの多さ。冒頭からこんなやりとりが出てくる。

「(略)おれたちが、いまやろうとしているのは、いたずらではなくて、高倉健、いやちがった、冒険だ」
「これが冒険かなァ――」
 目黒は信じられない顔つきである。
「目黒、なんだい、そのギワクのメザシ、ちがったマナザシは――未知に対する挑戦はすべて冒険なんだ」

 こんなのは序の口で、読んでいてどっと疲労を感じるほどダジャレはしつこく登場する。

「だって、はっきりいうけど、おふたりともあたしの趣味じゃないんですもの」
「なあに、シミーズ?」
「南、なんだ? このいたずらを中止するとでもいうのか」
「ばか、中止もビタミンシーもない。途中でやめるくらいだったら、おれは最初からやらない」

 さらに、当時はかなりおおらかな時代だったわけで、いまだったら編集者や校閲から注意が入るような表現もユーモアとして出てくる。

「わたし、お茶は色が黒くなるからのみません」
「するとインド人はお茶ののみすぎかなァ。でもインド人だから、カレーのたべすぎで黄色になるのがほんとうかもしれないなあ」

 ひゃー差別的! ちなみにこれ、新米の女性教師と校長先生との会話である。ほかにはタブーに触れるようなきわどいネタも。

「梶、それならまかしておけ、うちのママはひとにすすめるのは天下一品だ。うちのまわりはママにすすめられて、みんな十日学会にはいっている」

 この十日学会とは、某宗教団体をもじっているのでしょうね……。いまだったら怖くてうかつにこういうことは書けない。この本のなかで唯一、21世紀でも切れ味を感じさせるギャグだ。

中学イタズラ物語 中面
 なかに出てくる挿絵。「このキャラクターは、もしや?」とお思いになったあなた、正解です。この挿絵に対応している文章は以下の通り。

「へェー、お化けの入院か――そのお化けが交通事故にあったときは<キュー>と叫んだんじゃないかなァ」
「えッ――」
「つまり、オバキュー」

 ダジャレはどうでもいいんですけど、あのう、他人のキャラを勝手に描いていいんでしょうか……?

中学イタズラ物語 裏表紙
 裏。「君もイタズラのライセンスがとりたかったら、この本を読んで勉強して下さい」とのことです。定価は240円だが、古本を500円で購入。

おてんば一年生 表紙
 先日、近所の古本屋で超ファニーなカバーの文庫をゲットした。レーベルは秋元文庫。帰ってから調べたところ、秋元文庫はいまで言うライトノベルの走りのようなものだったらしい。これはそのなかでもコメディタッチの学園モノをラインナップした、「ファニーシリーズ」のなかの一冊だ。初版は昭和49年。思ったほど古くない。

おてんば一年生 本文1
 本文ページにも挿絵が。右下にいるイヤミな取引先の課長みたいな顔をした人物は、おっさんではなく主人公の友人・初江である。後ろの子も宇宙人っぽくて怖い。

 さて、かんじんの内容だが、残念ながらイラストほどネタ的なつっこみどころはない。『おてんば一年生』こと主人公の藤倉千冬は高校一年生。三姉妹の末っ子で、となりに住む本間家の三兄弟のまんなかの次郎とクラスメイトだ。花嫁修業中でお見合いをしている三姉妹の次女・千秋と、三兄弟の長男・太郎との恋を軸に、話は進んでいく。
 で、主人公の千冬だが、「おてんば」という軽い言葉で表現していいレベルじゃないんでは……? と不安になるほど精神年齢が低い。三兄弟の末っ子である八歳の三郎といつも本気で悪戯を仕掛けあっている。
おてんば一年生 本文2
 けっこう発育が良さそうなのに、小学生の水鉄砲に本気で怒る千冬。サービスカット?

おてんば一年生 本文3
 姉のお見合い相手が気に入らないので、手品をすると嘘を言って彼の仕立てたばかりのズボンをはさみで切ってしまう傍若無人っぷり。ひどすぎる。

「あたしが大きくなったら、オムコさんをもらって、この家をつぐわよ」
 と千冬は悲痛な気持ちで申し出たつもりだった。
 ところが、彼女の顔をながめたおとうさんは無言で頭を振り、おかあさんにいたっては、姉の千秋よりももっと大きなタメ息をもらしたきりだった。
 まだ、カガミと相談したことのない千冬は、ぷっと口をとがらせたが、彼女のケナゲな心根はついにみとめてもらえなかった。

 高校生なのに「まだ、カガミと相談したことのない」という無邪気さに驚く。極めつきは以下に引用する餃子屋での会話だ。

「自分だけくうと、チュウするとき、ニンニクくさいからな」
「チュウって、なによ」
 千冬の初歩的な質問に、彼はニヤリとした。
「またの名をセップンともいうな」
「わ、いやらしい」

 チュウを知らない女子高生! もしかすると昭和49年にはまだ一般的な言葉じゃなかったのだろうか、と思い、 Wikipediaの「接吻」のページを見ると、「接吻の擬態語としては江戸時代に既に『ちうちう』という表現を見ることができる」と書かれている。へー。でも千冬は知らない。ここまで来るとウブを通り越してなんだか怖い。

 後半に出てくる体育会の場面でも、千冬の過剰なおぼこさを確認できる。これがまた、父兄が観戦にやってきて昼は校庭で家族揃ってお弁当を食べる、小学校の運動会みたいな体育会なのだ。千冬だけでなく学校行事まで幼い。昭和49年ごろはこれが普通だったんでしょうか?
おてんば一年生 本文4
 三郎がショートパンツの後ろに切れ目を入れるという悪戯を仕込んだため、「アベック競争」なる競技の最中にショートパンツが落ちてしまう。露出してしまったパンツは色が白っぽいのでブルマではないだろう。当時ブルマはアウターウェアだったから、そのうえにわざわざショートパンツを穿かないだろうし。つまり、全校生徒と父兄の前で下着を晒してしまうという、ジャンプに載ってるちょっとエッチなマンガに出てきそうなエロハプニングなのだ。普通なら羞恥でいたたまれなくなるはずだが、千冬は三郎に対して腹を立てるものの、下着を露出したことにはそれほど羞じらっていない。(写真の右上に写り込んでいるのは猫です)

 こんなに精神年齢に難がある千冬だが、次郎が自分に気があるということを知り、恋のはじまりを予感させて物語は終わる。
おてんば一年生 表4
 裏はこんな感じ。三郎が持っている謎のふわふわは、カマキリの卵ではなく綿飴です。