少し前に、終戦の年の日記をいくつか読んだ。今日8月15日は終戦記念日なのでその話をさせてください。取り上げるのは、山田風太郎『戦中派不戦日記』、高見順『敗戦日記』、内田百痢愿豕焼盡』の3冊です。いくつかと言いつつ3冊だけなのはお恥ずかしい……もっと読むつもりだったけど日記ばかりで飽きちゃったんで……。この3人は従軍せずに民間人として昭和20年を過ごしています(高見順だけ過去に陸軍報道班員として徴用され、ビルマと中国に派遣された経験あり)。

 

 

山田風太郎『戦中派不戦日記』(講談社文庫)

 

 当時23歳、住んでいるのは東京都目黒の下宿。作家になる前、医学生だった昭和20年の元旦から大晦日までの日記。両親を早くに亡くし、高校受験に失敗して工場で働き、22歳になってから医大に入ったという境遇から屈折したのか、シニカルで思慮深くてリアリストな若者です。いっぽうで日本は勝つまで闘うべきだと考えるバリバリの軍国青年で、現代人としてはそのギャップに少々戸惑う部分もある。多感な年ごろに時代の大きな転換期を迎え、考えたり見聞きしたことを克明に饒舌に記した日記は、読みものとしてとても面白い。軍国青年ぶりにはけっこう引いてしまうし、ときおり出てくる女性蔑視的な考えにはうんざりさせられるけれど。

 

 日記は以下の一文からはじまる。

 

○運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ。(1月1日)

 

 勇ましいですね。そしてラストの一文はこう。

 

○運命の年暮るる。
 日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず。(12月31日)

 

 この鮮やかなコントラストのなかに、文庫で3センチ近い分量で書かれた昭和20年という1年が詰まっている。

 

「かの憎むべきB公が……」などといいて笑わしむ。高輪の親父はB29のことをポー助と呼ぶ。このあいだ来訪せる某婦人はその子に「さあさ、早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」といえり。(1月6日)

 

 日記を読んでいるとほぼ毎日のように空襲警報が鳴り、B29が空を飛んでいる。B公、ポー助、プーちゃん。すっかり空襲が日常と化してしまったなかでのB29ジョーク。

 

○本日、エイプリル・フール。(中略)夜、外に出て、扉をドンドンたたき、「高須さん、電報ですよ!」と叫びたてるに、便所にありし高須さん蒼くなって飛び出し来る。召集かと思いたり、三年いのちが縮んだりとて大いに怒る。(4月1日)

 

 高須さんは工場で働いていたころの上司で、現在の下宿の主人。恩人に対して最悪な冗談です。

 

 昭和20年のできごとというと、東京大空襲、ヒトラーの死とドイツの敗戦、沖縄の玉砕、広島長崎への原爆投下、ソ連の宣戦、そして敗戦……あたりだろうか。全部取り上げると長くなりすぎるので、8月15日を3人それぞれどう記したのか比較したいと思う。連日長文の日記を書いていた山田青年の8月15日の日記はたった一行だけ。

 

○帝国ツイニ敵ニ屈ス。(8月15日)

 

 ちなみにこの前日、14日の日記はものすごーく長い。ごく一部を抜粋。

 

 アメリカが日本人を十万人殺せば、日本はアメリカ人を十万人殺す。そうすれば日本は必ず勝つ。そうであったら、たとえこの爆弾で百万人の日本人の首が宙天へ飛ぼうと、その百万の首はことごとく満足の死微笑を浮かべているであろう。(中略)日本人はもう三年辛抱すればいいのだ。もう三十六ヵ月、もう一千日ばかり殺し合いに耐えればいいのだ。(8月14日)

 

「満足の死微笑」という言葉のインパクト……。このあとは、自分たちだけでも組織をつくって徹底抗戦しようと友人たちと熱に浮かされたように徹夜で議論した描写が続く。「ザ・青春!」の語り合いからの〜無条件降伏。さんざん燃え上がった気持ちのやり場のなさよ……。16日の日記もすごく長い。行数は数えていないけど1年間でいちばん長いんじゃないかな。15日になにが起こったのか、そしてどう思ったのかを深い怒りと悲しみを込めて綴っている。

 降伏への強い反発は、夏が終わり秋が来て冬へと季節が移るにつれ薄らいでいく。米兵に媚びる人びとの軽薄さや、一転して軍国主義を叩く言論人の変わり身の早さを憎みながら、物心ついたころから自分が信じ続けていたものが完全に否定されるという状況の苦い味を咀嚼していく。

 

 

高見順『敗戦日記』(中公文庫)


 当時38歳。住まいは鎌倉。川端康成や大仏次郎や里見など鎌倉文士のコミュニティに属しており、文士仲間と蔵書を持ち寄って「鎌倉文庫」という貸本屋をオープンさせるようすも書かれている。文学報国会という文学者による国策推進のための組織にも参加していて、会の集まりに出席するためによく上京して浅草などを散策して友人と呑んでいる。

 若い山田風太郎の熱さに比べると、戦争に対して距離を置いていて冷ややか。だからといって反発するようすもなく、後年の人間としては「結局迎合してるじゃーん」と歯がゆさを感じたりもする。

 

(この日記とは関係がありませんが、プロレスラーで衆議院議員の馳浩の奥さんであるタレントの高見恭子は、高見順と愛人とのあいだに生まれた子です。っていまの20代は知ってるんだろうか、高見恭子。わたしは小学生のころ、将来は高見恭子みたいな毛先にパーマをかけたロングヘアにしたいと思っていたよ……。いちどもしたことないし今度もする予定はいっさいないけれど。高見順自身が私生児でつらい子供時代を送ったのに、自分も私生児を生ませるという、因果はまわる状態)
 

 二十二、三から十三、四の年のものは、絶対に日本は勝つ、勝たさねばならないという固い信念を持っているねと香西君(※文藝春秋の社員)は言った。(三月八日)

 

 まさしく前述の山田風太郎はこの世代で、勝利への意識は世代間ギャップが大きかったことがわかる。日本が軍国主義一色になる前の時代を知っている世代と、知らない世代。

 

「お掘んなさい」
 と川端さん(※川端康成です)がすすめる。川端さんはその鎚とのみで裏に自分で防空用の横穴を掘った。
「力がいりやしないかしら」
「力なんか、ちっともいりませんよ。ひとりでコツコツやっていると、何んにも考えないで、いい気持ちですよ」(4月15日)

 

 川端康成というと小柄でひょろひょろで力なんてぜんぜんなさそうなイメージだが、ひとりで防空壕を掘ったとは。

 

 爆弾除けとして、東京では、らっきょうが流行っている。朝、らっきょうだけで(他のものを食ってはいけない)飯を食うと、爆弾が当らない。さらに、それを実行したら、知り合いにまた教えてやらないとききめが無い。いつか流行った「幸福の手紙」に似た迷信だ。(4月24日)

 

 チェーンメールがそんなにむかしからあることに驚愕。チェーンメールの歴史も気になってきた。

 

 つぎは終戦の前日、8月14日の日記。

 

 駅に向う途中、高島君(西日本新聞社の記者)の友人らしいのが、
「十一時発表だ」
 と言った。四国共同宣言の承諾の発表! 戦争終結の発表!
「ふーん」
 みな、ふーんというだけであった。溜息をつくだけであった。(8月14日)

 

 国民は寝耳に水で降伏を伝えられたというイメージがあるけれど、高見順は前日にフライングで降伏を知っていた(時間は間違ってるけれど)。それに対しての反応の乏しさ。戦争末期にはみんな疲弊しきってすさんで麻痺していたことがよくわかる。翌日、8月15日の日記。
 

 十二時、時報。
 君ガ代奏楽。
 詔書の御朗読。
 やはり戦争終結であった。
 君ガ代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。
 ――ついに敗けたのだ。戦いに破れたのだ。

 (中略)
 軍曹は隣りの男と、しきりに話している。
「何かある、きっと何かある」と軍曹は拳を固める。
「休戦のような声をして、敵を水際までひきつけておいて、そうしてガンと叩くのかもしれない。きっとそうだ」
 私はひそかに、溜息をついた。このままで矛をおさめ、これでもう敗けるということは兵隊にとっては、気持のおさまらないことには違いない。このままで武装解除されるということは、たまらないことに違いない。その気持はわかるが、敵をだまして……という考え方はなんということだろう。さらにここで冷静を失って事を構えたら、日本はもうほんとうに滅亡する。植民地にされてしまう。そこのところがわからないのだろうか。
 敵をだまして……こういう考え方は、しかし、思えば日本の作戦に共通のことだった。この一人の下士官の無智陋劣という問題ではない。こういう無智な下士官にまで滲透しているひとつの考え方、そういうことが考えられる。すべてだまし合いだ。政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます、等々。(8月15日)

 

 戦時中は感情を抑えた冷静な記述が多い高見順だが、敗戦以降は苛立ちを隠せない荒っぽい書きぶりが増えてくる。

 

 軍隊のこの個人主義。癇が立つ。水兵が汚いのも、癇にさわる。まるで敗残兵だ。連合国の兵隊はもう上がっている。この汚い日本の兵隊を見たらどう思うだろう。口惜しい。癇が立つ。頭上を低空で占領軍の飛行機が飛び廻っている。癇が立つ。ポカンと口をあけて見上げているのがいる。バカ! なんでもかんでもシャクにさわった。神経がささくれている。(8月28日)

 

「バカ!」の身も蓋もなさ……。以降、米兵に「ハロー、滋賀劣等(シガレットの発音が悪くてこう聞こえる)」と話しかけて煙草をもらおうとしている闇屋を見かけて腹を立て、電車内でこれ見よがしに『ライフ』を広げて読んでいる中年の紳士を見かけて腹を立て、新しい煙草の名前が「ピース(平和)」なんてあさましいと腹を立てている。

 高見順は学生時代、左翼系同人雑誌に参加してプロレタリア文学に取り組んでいた。しかし治安維持法違反で検挙されて転向し、戦時中は政府にすり寄って文学報国会にも参加し、だけど敗戦で軍国主義は滅び民主主義がやってきて……と時代に翻弄されて何度も価値観の転換を余儀なくされた人生だった。老いてから振り返って苦々しく思うことも多かっただろうなと思う。

 

 

内田百痢愿豕焼盡』(中公文庫)

 

 焼盡はしょうじん、と読みます。前のふたりの日記とは違い、昭和19年11月から20年8月21日までの日記なので、戦後の記述はほとんどなし。住まいは東京都麹町。当時56歳。召集に怯えなくていい年齢だ。この時期は執筆活動をしているようすはなく、日本郵船の嘱託社員をやっている。昼過ぎ出社で水曜と土日が休み、社内に自分の部屋を与えられているという夢のような待遇!

 

 高見順の日記は戦争とのあいだに薄い膜を感じたが、百里瞭記はさらに壁の向こうのできごとという感じがする。戦局に対する意見や日本はこうあるべきみたいな話はほとんど出てこず、こまごまとした生活の記録が大半を占めている。日常描写、それも食べものやお酒が足りなかったり入手できたり、といった記述が多い。

 戦争に熱狂した人びとがいたいっぽうで無関心なひとも多く存在して、その両方があのようなかたちへと日本を動かす要因になってしまったんだろうなあ……と思う。乃木将軍の顔の切手を嫌って景色のイラストの切手を買いだめしたり、文学報国会を「文士が政治の残肴に鼻をすりつけて嗅ぎ廻つてゐる様な団体」とこき下ろしたり(百里亙験慂鷙餡颪瞭会を拒んだ数少ない作家)、といった厭戦気分はあるんだけど。

 

 朝の御飯にお米が足りなくて心細き限りなり。お粥にマカロニの残りを混ぜたものを食ふ。(2月21日)

 この頃では味噌はバタやチーズに匹敵する。子供の時、味噌をおかずにすると七代貧乏すると教へられたが、今が丁度七代目なのであらう。(6月19日)

 この頃の胡瓜は昔に食べた林檎バナナ水蜜桃葡萄等の水菓子から一切の野菜類は更なり清涼飲料の炭酸水ジンジヤーエールやアイスクリームシヤベエ迄も含めた食べ物になつている。(8月16日)

 

 穀物や根菜でご飯をかさ増しした話はよく聞くが、マカロニは初耳! 味噌がバターやチーズみたいだというのはわからなくもない。きゅうりはこんなに褒められたらきゅうり冥利に尽きるだろう。ほかに、家のなかに迷い込んできた雀を捕まえ、焼いて食べようと思ったものの、悩んで泣き出しそうな気持ちになり、結局雀を逃がすという描写もある(2月26日の日記)。雀を逃がしたのは、百里肋鳥が好きでこのころもいろいろ飼っていたからかもしれない。

 

 目白、駒、鶸(ひわ)の世話をしたり、ヒヤシンス、サフランの鉢を日向に出したり、菜園に水をやつたりして長閑な気持ちでゐると、午過十二時二十分警戒警報鳴る。(3月28日)

 

 この鳥たちも、籠に入れて持ち出した目白以外は5月25日の空襲で家ごと燃えてしまう。いったんは籠に入れて持って行こうと思ったけれど結局そのままにされた不憫な駒と鶸、目白との格差を感じる鳥ヒエラルキー……。

 

 百里郎2鷦茲蠑紊欧3人のなかで唯一、最後まで東京にいた人物である(山田風太郎は空襲で下宿や大学が焼けて大学ごと長野に疎開し、高見順はずっと鎌倉にいた)。空襲で焼け出されたあとは、近所に住むバロン松木(プロレスラーかお笑い芸人みたいな名前ですが松木男爵ってことです)の豪邸の敷地内にある粗末な小屋で暮らしていた。敗戦の前日である8月14日、近所で火事騒ぎが起こる。

 

 家内が出て見て市ヶ谷本村町のもとの士官学校跡の大本営のうしろの方に火の手が上がつてゐると云つた。(中略)普通の火事はこの頃珍らしく、太平の趣がある。(中略)消防自動車が門の前でぶうぶう鳴らしても開けないし、門番もゐるのだが案外平気な顔をしてゐたと云つた。その話を聞いて何か焼き捨ててゐるのではないかとも思はれた。(8月14日)

 

 市ヶ谷の軍部が降伏の前にあわてて資料を焼く場面、映画『日本のいちばん長い日』などでもお馴染みだが、火事だと思われるほど派手に燃やしていて、しかも資料を焼いているのだろうと民間人にバレていることに少し驚いた。
 そして8月15日。

 

 昨夜より今日正午重大放送ありとの予告あり。今朝の放送は天皇陛下が詔書を放送せられると予告した。誠に破天荒の事なり。(中略)正午少し前、上衣を羽織り家内と初めて母屋の二階に上がりてラヂオの前に座る。天皇陛下の御声は録音であつたが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まず。どう云ふ涙かと云うことを自分で考へる事が出来ない。(8月15日)

 

 ……以上、3冊をちょちょことかいつまんで紹介してみましたが、ごく一部だけなので、気になったかたは読んでみてください。とくに3月10日未明の東京大空襲の描写とか、その後の焼け跡の人びとのようすだとか、戦後の駅にいる浮浪児たちとか。市井の人びとはどんな暮らしをしていたのか、もしこういうことがまた起こったらどう関わればいいんだろうと考えたりだとか。

 

 最後に高見順の日記より。

 

 午後、仕事にかかる。
 ヒロポンをのんで徹夜。(8月2日)

 先日近所でやっていた骨董市で、古い雑誌を購入した。
明星グラマア表紙
「明星グラマア」、昭和32年発行。これは単独の雑誌ではなく、「明星」の付録らしい。カバーガールは雪村いづみさん。かなりきわどい衣装。

明星グラマア中面
 かしまし娘って、正しくはこの表記だったんですね。姦し娘。

明星グラマア中面
 特集のタイトルは「あなたのグラマア度は!?」。

グラマア《GLAMO(u)R》〈名詞〉魅力、魔力、魅惑…………
英和辞典をひくと、こうでています。
どうやら、わが国では“裸体美”とでもいった意味にとられているようですが、それは大きな誤解といわなければなりません。そこでこの記事は、「グラマア」の意味を考えるとともに、百万女性読者がより「魅力ある女性」になることをねがって、あなたへおくる――魅力のノート――なのです。

 と力んだ前説が載っているが、編集部の啓蒙の甲斐なく、21世紀の日本においてグラマーは“裸体美”どころか“肥満ぎみ”の婉曲表現としても使用されている。

明星グラマア中面
 これがグラマア度テスト表。

(一)あなたが洋服などを新しく作る店は、いつもおなじですか。
(イ)同じ店です。
(ロ)これといってきまっていない。

(二)あなたが洋服などを新しく作るとき、デザインはデザイナーにまかせますか。それとも自分できめますか。
(イ)自分できめる。
(ロ)デザイナーにまかせる。

 初っぱなから、既製服しか買わない現代人には回答できない質問が並ぶ。

明星グラマア中面
 これは「レコードはなぜ売れぬ」という記事。CDが売れない時代と言われて久しい現代にも通じるテーマ。「まず何よりも良い作品が少ない」「企画の甘さ」「歌手の不勉強、不節制」とおもにコンテンツじたいの問題を指摘しており、「YouTubeなどで満足してしまう」「データをダウンロード購入しているから」「娯楽にお金を使わなくなった」などコンテンツの外に原因をさがしがちな現代の思考を反省させられる。

明星グラマア中面
 読み切りのユーモア小説「恋とはいえぬ恋物語」。関西弁の会話が小気味よい、軽妙でチャーミングなラブコメだった。

明星グラマア中面
 広告。睡眠中鼻が高くなる特許隆鼻器アイ・アイ。私は鼻がとても低いのでぜひモニターになりたい。

中学イタズラ物語 表紙
 先日紹介した秋元文庫ファニーシリーズの、ほかの本を入手した。タイトルは『中学イタズラ物語』。見よ、このカバーイラストのなんともいえない味わい! 発行は昭和51年。昭和51年というと、少女マンガでは『ポーの一族』が完結した年であり、『風と木の詩』が連載開始した年だ。発行当時にはすでに、このイラストのセンスはそうとう古かったのは……? と失礼ながら思う。

 内容は短篇集で、どれも東西中学という名の学校に通うイタズラ好きの男子二人組が主人公になっている。『美味しんぼ』の東西新聞社の元ネタがここに!(たぶん違う)
 この小説のいちばんの特徴は、なんといってもダジャレの多さ。冒頭からこんなやりとりが出てくる。

「(略)おれたちが、いまやろうとしているのは、いたずらではなくて、高倉健、いやちがった、冒険だ」
「これが冒険かなァ――」
 目黒は信じられない顔つきである。
「目黒、なんだい、そのギワクのメザシ、ちがったマナザシは――未知に対する挑戦はすべて冒険なんだ」

 こんなのは序の口で、読んでいてどっと疲労を感じるほどダジャレはしつこく登場する。

「だって、はっきりいうけど、おふたりともあたしの趣味じゃないんですもの」
「なあに、シミーズ?」
「南、なんだ? このいたずらを中止するとでもいうのか」
「ばか、中止もビタミンシーもない。途中でやめるくらいだったら、おれは最初からやらない」

 さらに、当時はかなりおおらかな時代だったわけで、いまだったら編集者や校閲から注意が入るような表現もユーモアとして出てくる。

「わたし、お茶は色が黒くなるからのみません」
「するとインド人はお茶ののみすぎかなァ。でもインド人だから、カレーのたべすぎで黄色になるのがほんとうかもしれないなあ」

 ひゃー差別的! ちなみにこれ、新米の女性教師と校長先生との会話である。ほかにはタブーに触れるようなきわどいネタも。

「梶、それならまかしておけ、うちのママはひとにすすめるのは天下一品だ。うちのまわりはママにすすめられて、みんな十日学会にはいっている」

 この十日学会とは、某宗教団体をもじっているのでしょうね……。いまだったら怖くてうかつにこういうことは書けない。この本のなかで唯一、21世紀でも切れ味を感じさせるギャグだ。

中学イタズラ物語 中面
 なかに出てくる挿絵。「このキャラクターは、もしや?」とお思いになったあなた、正解です。この挿絵に対応している文章は以下の通り。

「へェー、お化けの入院か――そのお化けが交通事故にあったときは<キュー>と叫んだんじゃないかなァ」
「えッ――」
「つまり、オバキュー」

 ダジャレはどうでもいいんですけど、あのう、他人のキャラを勝手に描いていいんでしょうか……?

中学イタズラ物語 裏表紙
 裏。「君もイタズラのライセンスがとりたかったら、この本を読んで勉強して下さい」とのことです。定価は240円だが、古本を500円で購入。