九歳ぐらいのころ、私はヤギのぬいぐるみのポシェットを大切にしていた。お出かけのときはいつもこれを持ちたがった。
ヤギのポシェット

 母はこのポシェットを見るたび微妙な顔をした。なぜかというと、これを入手した経緯に問題があったのだった。当時、父はいつも帰りが遅く、母と口喧嘩になることが多かった。その背景は「家庭の事情」(by トニー谷)なのでここでは割愛するが、とにかく母はある日、「普段通ってる店に連れて行って!」と父に迫った。激しい言い争いの結果、父は憤然としつつも家族を連れて出かけることになった。着いたさきは、ススキノにあるバニーガールのいる店だった。

 明らかに場違いな、小学校中学年の私と低学年の妹と幼児の弟。白と黒のシックな内装を施された、接待用と思われる店でぎくしゃくと食事をする、われわれファミリー。「ほら、ウサギのおねえさんだよ」と母に言われても、そこにいるのはもこもこの着ぐるみではなくエッチな衣装に身を包んだおねえさんたちで、どう反応すればいいのかわからない。九歳というのは「わあいウサギのおねえさんだ!」と喜べるほど無垢な年ごろではないし、理不尽な状況に怒れるほど大人でもないのだ。
 だが、バニーガールは望まれぬ客である私たちをかわいがり、私と妹にヤギのぬいぐるみのポシェットをくれた。なかにはきれいな包装紙にくるまれたチョコレートが入っていた。

 なぜバニーガールのいる店に女児向けポシェットなんかあったのだろう、といま振り返ると疑問に思う。すべて私の脳が捏造した記憶なのではないか、と自信がなくなってくる。実在していたとしてもバブルの崩壊とともにあの店はなくなっただろうし、検索してもそれらしい店の情報には辿り着けない。微妙な話題なので親に訊ねる気にもなれない。「ヤギ ポシェット」で検索するとヤギ革のバッグがいっぱい出てきて少しつらい気持ちになった。だけど、網タイツに包まれた肉感的な脚の印象は鮮明で、実際に私の眼が見た光景だと教えてくれるのだ。

「何歳のころに戻りたい?」と訊ねられてもうまく答えられそうにないが、「じゃあ戻りたくないのは何歳のとき?」だったらいくつか候補を上げられる。そのひとつは反抗期だった中学生のころだろう。反抗期まっさかりの私は、腹を空かせた獣のように毎日わけもなく苛々し、家庭内でヒステリックに怒鳴り散らしていた(家以外ではだいたい床を見て薄ら笑いを浮かべていた)。とくに週末に親と出かけなければいけない際に、苛々は最高潮に達した。文句を言いながらだらだらと準備をし、予定よりもずっと遅れて出発しても反発心はおさまらない。車という狭い空間に閉じこめられるのが苦痛だし、そのなかで家族とからだの一部が接触してしまうのが不快だった。

 そのころ私は劇団四季版の『オペラ座の怪人』に心酔していた。浅利慶太訳の歌詞をすべて暗記していたほどに。車内のぴりぴりした空気に耐えかねて「なにか音楽でもかけようか」と言った親に私が無言で差し出したのは、もちろん『オペラ座の怪人』のCD。

「ジャーンッ! ジャジャジャジャジャーーンッ!!!」
 車内に鳴り響く、あまりにも有名なおどろおどろしい旋律。アンドリュー・ロイド=ウェバー卿のやたら派手でドラマティックな音楽に狭い空間は満たされる。「もっと音を大きく!」私の命令でボリュームはどんどん上げられ、ほとんど爆音ライブ状態に。家族五人を乗せてお墓参りに向かう車は19世紀のパリの豪華絢爛なオペラ座と化した。悲劇的で情熱的なラブストーリーが劇団四季流のやけにはきはきした発声で繰り広げられるなかで、私ひとりだけがご満悦なのだった。

 そんなことを、先日電車で劇団四季の『オペラ座の怪人』の中吊り広告を見て思い出したのでした。いまは料理中に声をかけられたときのみ、当時のヒステリックな状態に戻ることがあります。なんででしょうね。包丁と火が攻撃性を引き出すんですかね。

 書店の講談社文芸文庫の棚で色川武大『狂人日記』(それにしても「狂人」すら変換させてくれないATOKの風紀委員っぷりはなんなのだろう)を見つけ、懐かしさにかられて購入した。前にこの小説を読んだのは二十二歳のゴールデン・ウィークだった。遠距離恋愛していた当時の恋人(無職)に会うため、東京に行った。どこでどう遊ぶか決めていなかったのだが、知らない駅で降りてみようと彼が提案した。「名前がいいし、たぶん公園がある!」と言われ、京王線の芦花公園駅で降りた。

 確かに駅のすぐ近くに公園はあった。私たちはそのなかを歩いた。まだ五月だというのに陽炎が見えるぐらい暑く、植物は凶暴さを感じさせるほど青々と茂っていて、肌寒い北の大地からやってきた私はすぐにしんどくなった。公園を抜けたところに図書館があったので、逃げ込むようにそこに入った。

 館内では寺山修司展かなにかをやっていて少し興味をそそられたのだが、彼が険しい顔で「有料だ!」と言ったので諦め、カーペット敷きのフロアで本を読むことにした。私は本棚から『狂人日記』の文庫を引き抜き、体育座りで読みはじめた。私の読んでいる本の表紙を確認した彼は、「『麻雀放浪記』のひとの別ペンネームで、ナルコレプシーだから麻雀打ちながらころっと寝ちゃうんだよ」と教えてくれた。そのときはじめて阿佐田哲也と色川武大が同一人物であることを知った。

 最後の一行まで読み終わってから図書館を出た。暑さはましになっているものの陽射しはあいかわらず強く健全で、さっきまで浸っていた小説とのギャップにくらくらした。そのあとどこへ行ったかは憶えていない。たぶん格安居酒屋で食事をして、一泊3000円ちょっとのレンタルルームに泊まったのだろう。彼とはそのうち音信不通になった。芦花公園駅もそれきりおとずれていない。

「2002年日韓ワールドカップまであと○○○日」と表示された電光掲示板を見た彼が、「2002年っていったらおれはもう三十歳か! まだ無職だったら死ぬしかないな!」と笑って言っていたことを思い出す。あれからFIFAワールドカップは2002年を含め三回おこなわれて、今年もブラジルで開催されるらしい。無職だろうが有職だろうが、彼がいまも生きていたらすごくいいな、と思う。