私が子どものころ、父はダイニングテーブルで新聞を読みながら「アサコはかわいいなあ」「ベンジャミン(祖父母宅で飼っていた犬の名前)はかわいいなあ」などとたいへん大きな声で独り言を言っていた。「かわいいなあ」ではなく「かわいくないなあ」のことも多かったが、家族は慣れていたのでだれも気にとめていなかった。

 この癖が私にもあらわれたのは高校生のときだ。「アイスクリームはおいしいなあ」「アイスクリームが歩いていた」などと、思考とはまったく関係のない言葉が口をついて出ていた。なぜかアイスクリームのことばかりだったが、アイスクリームにそれほど思い入れはない。無意識のうちに口から飛び出しているため、声を聞いてはじめて自分が呟いたことに気付く。

 この頻出する単語というのは時期によって変わっていく。一時期は「腋毛がどうしたこうした〜」とさかんに腋毛にこだわっていた。罵詈雑言やきわどい言葉が頻出する時期は、かなり意識的に制御しなければいけないのでたいへんだ。いまは「ミシシッピ」という単語がよく出てくる。タランティーノの映画『ジャンゴ 繋がれざる者』でスクリーンいっぱいにあらわれる"MISSISSIPPI"の文字を観て笑ってしまったときから、こうなったんだと思う(余談だが村上春樹さんの小説で、眠気に襲われた主人公に連れの女性が「ミシシッピの綴りを思い出しなさい」と提案する場面があった)。

 おそらく、日常のなかで蓄積されていく澱のようなものを捨てるために、口から無意味な言葉を吐き出しているのだろう。電車のなかで見かけるセルフ車掌や、罵倒語を並べ立てながら歩いているひとも、程度の差こそあれそうなのだろう。

 結婚当初、夫は私のこの癖に困惑し、普通に喋っているのと独り言との違いがわからないと怯えられた。交際していたころは外で会っていたので、できるかぎり独り言を抑制していたのだ。夫には脳のデフラグ(最適化)だと説明している。「夢は脳のデフラグである」という説をどこかで読んだし私もその説を支持しているのだが、どうやら私の脳は起きているあいだもデフラグを実行しなければいけないらしい。デフラグのやりすぎはハードディスクの寿命を縮めると聞くが、脳の場合はどうなのだろうか。