恥の多い生涯を送って来ました、というのは太宰の『人間失格』の有名な一文である。相対的に見て自分の人生は恥が多いほうなのか少ないほうなのか判断できないが、恥について考えるとき、私はいつもゴージャス松野を思い浮かべる。

 ゴージャス松野とは、2000年ごろのミレニアム時代にワイドショーを賑わせた人物だ。女優の沢田亜矢子の夫でありマネージャーだったが、DVで訴えられ、泥沼離婚騒動に発展した。離婚成立後は美容整形したりホストクラブに勤務したりプロレスデビューしたりと、キワモノとしてテレビの見世物になっていた。そういう活動の一環としてアダルトビデオにも出演していた。私は10年以上前にそのAVをラブホテルのテレビで観たことがある。

 棒読みの寒いモノローグが全編にわたりちりばめられている、ドキュメンタリータッチの作品だった。女性を背に乗せお馬さんになって臀部を叩かれながら四足歩行したり、パッヘルベルのカノンをBGMに歌舞伎町を歩きながら珍妙な台詞をカンペを読んでいるような口調で語ったり、ひりひりする映像が目白押しで「観る拷問」といった様相を呈していた。極めつけは、いざ挿入というところでうまくいかなくなってしまい、「ひとがいると緊張するから」というようなことをスタッフに言って撮影を中断させるくだりだ。結局、スタッフを排除して固定カメラでの撮影で終了するのだが、仕事に徹するプロ意識あふれるAV女優とのコントラストが印象的だった。

 観たときはただの嘲笑対象でしかなかった。だが、それから年月が経つうち、私の頭のなかで意味を持ちはじめた。たとえば小説を書きながら「苦心して恥をかくなんて私はなにをやっているんだろう」と思ったとき、あんなに無様に恥を晒している人間がいるんだから、とゴージャス松野の存在を思い出して自分を励ます。恥なんてたいした問題じゃないのだ、と私の内なるゴージャス松野は言うし、事実それは正しい。

 ここまで書いてから検索してみたところ、DMMにそれらしきAV(18歳未満は見ないでね)があったので、300円払ってストリーミングで視聴してみた。記憶違いしていたところも多々あった。10数年ぶりに鑑賞した私は「思ったほど痛々しくないな」と感じた。10数年のあいだに、世のなかにはもっと痛々しく恥ずかしい事柄がたくさんあると学んだのだろうか? あと、ドキュメンタリーではなくフェイクドキュメンタリーなんだな、と理解した。当時は演出に気付かないほどピュアだったのだろうか?

 その後松野氏は、鬱病を患ったり肝不全で心肺停止状態になったり僧侶になったり整形崩れで顔がちょっとすごいことになっていたりプロレスを続けたりしている。そもそも福島の置屋の息子として生まれ育ったらしい。「置屋の息子」という言葉には特別な物語性がある。最後に、AVのなかの松野氏の語りを引用したい(文章で読むよりも、抑揚のない棒読みを聞くほうが味わい深いのだけど)。
 

「誤解を恐れずに言うと、ひとから誤解されるということは、そんなに怖いことじゃない。自分のこころのままに生きるということは、つねに戦い続けるということだから」

「AV初絡みが終わった。やたらと照明が明るく、私の邪悪なこころまで白日の下に晒された。緊張し、口が渇いた。こんな私をあなたは、そしてあいつはどう見るんだろう」

「宴のあとの寂しさが胸に迫る。堕落を目論む思いすら、快楽に溺れたいまの私には遙かかなたのことだった。私は決して強い人間ではなかった。不十分な人間だからこそ(ここで囁きボイスに)悩み続けている」