『エンディングドレス』、ポプラ社より税込1620円です。上の写真ではわかりづらいですがこの装丁、イラストを描いていただいてそれをもとに刺繍してもらったものを撮影してデザインしています。装丁デザインは山影麻奈さん、もとのイラストは坂本ヒメミさん、刺繍は戸田未果さんです。
ポプラ社のPR誌「asta*」に途中まで連載していた(連載はほんの前半部分だけだったので、掲載時に読んだくださったかたには「そこから物語が大きく動きます!」と声を大にして言いたい)ものがもとになっています。連載時は『エンディング・ドレス』とナカグロが入っていましたが、書籍名は『エンディングドレス』でナカグロが消滅しました。これには深遠なる意味があるわけではなく、デザイナーさんがデザインを組んだときに邪魔だったので取ってもらっただけです。
私のここ数年の趣味のひとつに洋裁がありまして(つくったものを淡々とアップしている味気ない洋裁ブログはこちら)、洋裁をモチーフにした話を書きたいと思ったのがこの小説の発端でした。死ぬ準備を進めていた32歳の主人公・麻緒があるきっかけからエンディングドレス=死に装束を縫う洋裁教室に通うことになり、ミステリアスな先生やほかの生徒さんたちと課題に取り組んでいくうちに……というお話です。洋裁愛をぎゅぎゅっと詰め込んだ1冊になりました。ちなみに各章のタイトルはこんな感じ。
毎回自分自身を深く掘っていくような課題を与えられ、それについて考えて手を動かし布から服をつくって……という展開になっています。いままで私の出した本のなかでは、いちばん間口の広い、さまざまな立場のひとに楽しんでいただける話になっているんじゃないかなと思います。『エンディング・ドレス』、よろしくお願いいたします。
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■八橋(パテンス系 5月19日開花)
京都の銘菓みたいな名前の品種。つぼみのついた苗を春に買ったので、いちばん最初に咲いた。和紙っぽい質感にエアブラシを吹きつけたような色合いで、ベテラン女優のような品格のある艶やかさ。
後ろすがたが超セクシー。よっ! 大女優!
■白万重(フロリダ系 5月22日開花)
クレマチスに興味を持つきっかけとなった品種。これを咲かせたくてはじめたんです。しかしわりと寒さに弱く、4月に降った雪で元気を失って成長が遅れるはめに。寒冷地では場所によって越冬できたりできなかったりするらしく、現在はすでにご臨終疑惑が。前の冬は室内で越冬させたんですけど、今回は枝が伸びて部屋に入れるのがめんどうで、ベランダに放置しているので……。
咲きはじめはグリーンで、じょじょに白くなっていく。外側の花弁は途中で散って、中央だけ残って八重咲きっぽくなります。
■大河(フロリダ系 5月27日開花)
去年のMVP候補。グリーンの地色に紫を刷毛で塗ったような色合い。たくさん咲くし、外側からゆっくり開いていって最初と最後ではまったく違うすがたになるので長く楽しめる。写真で見るとかなり派手だけど、実際は花のサイズは6〜10cmほどなので大きすぎず、ほどよい感じ。
色はだんだん薄くなっていきます。いい花なんだけど、しかし、散るときに激しくちらかるというベランダガーデニングには致命的な欠点が。
■流星(インテグリフォリア系 6月3日開花)
EXILEの弟分の曲名みたいな名前の品種。わずかにシルバーがかった薄紫色の小ぶりの花が、とにかくいっぱい咲く! これも花弁の先端にエアブラシを吹いたみたいな模様。途中でベランダから巣立って地植えにしたのですが、短い休みをはさみながら冬近くまで咲き続けた、華奢に見えて超ずぶといやつです。
■這沢(テキセンシス・ヴィオルナ系 6月29日開花)
こんな壷形のクレマチスもあるんです。這沢はとにかく名前が好き。今後べつのペンネームが必要になったら這沢と名乗りたいぐらい。ころんとしたかたちで、ピンクと白のツートーン。
右側のもけもけしたのは種です。クレマチスは花のかたちはいろいろだけど、種はだいたいこんな感じ。ここからさらに毛羽立ってもけもけになる。
白万重との共演。新進気鋭の若手女優を引き立てるバイプレイヤー感。
■押切(テキセンシス・ヴィオルナ系・6月29日開花)
這沢よりも少し長細くて、赤と黄色のツートーンの押切。ギャル雑誌の読者モデルから「CanCam」モデルになったひとと同じ名前ですね。レザーっぽい質感が格好いい。
這沢&押切コンビ。
クレマチスはキンポウゲ科のつる植物で、系統がたくさんあり花の形状もさまざま。コレクション欲とベランダスペースと私の育てキャパシティが三つ巴となって争うはめに陥っている。トレリスやフェンスに絡ませるのが一般的だと思いますが、私はベランダの壁に火で溶かして接着するタイプの金属製フックをつけて、それに麻紐を張って誘引しています。このフック、再度熱したら外れるはずだけど、もしも取れなかったらどうしよう、と賃貸暮らしの不安。
あともう1種あるんですがそれは去年はまったく咲かなくて、今年に期待したいところ。ほかにも秋にいくつか買い足したので、さっさとあったかくなって花を見せてほしいものです。もう冬は飽きた。
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現在出ている1月号で連載4回め。ある理由から死ぬ準備を進めていた32歳女性の麻緒が、エンディング・ドレス=死に装束を縫う洋裁教室に通いはじめ、毎月の課題服を縫い、教室のメンバーと交流するなかで、自分を見つめ直すお話です。私の趣味である洋裁のネタをたっぷり盛り込んでいます。
「asta*」は書店で無料配布されているので、お見かけの際はお手に取ってみてください。北村みなみさんによる挿絵もふんわりした雰囲気でキュートです。今年の前半に単行本になるかな? どうなのかな? という感じなので、くわしいことが決まったらまた告知させてください。
あと、年末に出た『猫とLOVELOVE』(宝島社)という猫ムックに、うちの猫が載っております。「猫に愛される飼い主になる」をテーマに猫と距離を縮める方法をあれこれ解説しているムックです。この本の分類によると、うちの猫は「人見知りのガラスハート猫」に該当するであろう。
仔猫時代の写真と現在の写真が入りまじっているので、写真によってサイズ感がまったく違う……。
猫といえば、去年の4月に出た『ニャンニャンにゃんそろじー』という猫小説&猫マンガを集めたアンソロジーに「ファントム・ペインのしっぽ」という小説を書いたのですが、このブログでは告知していなかったことに気付きました。
『ニャンニャンにゃんそろじー』、講談社より税込1,512円で発売中です。いまさらすぎる告知ではありますが……。
というわけで、取り急ぎお知らせだけですが、2018年もよろしくお願いいたします。
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11月29日、最初に向かったのは新宿ニューアート。ゴールデン街の入口の手前にある劇場です。お目当ては香山蘭さんと初見のMIKAさん。
香山さんは夏にやっていた「反戦歌」という戦前・戦中・戦後を舞台にした三部作の演目がほんとうに素晴らしくて感動して、大ファンになった踊り子さん。今回観たのはXmas限定演目と「闇夜のサーカス」という演目。Xmas限定のは着ぐるみのトナカイがうきうきとパーティの準備をしている……という内容で、香山さんは影のある演目が得意な踊り子さんという印象があったけど、これはかわいくてあったかくてハッピーな感じ!
「闇夜のサーカス」のほうは、見世物小屋的な仄暗く妖しい雰囲気があって超好みの演目でした。どちらの演目もお手製と思われる小道具がステージ上にいっぱいあって、そういう手づくり感も好き。選曲もユニークで「ここでその曲を持ってくるか〜!」という驚きがいつもある(ネットに曲名を出さないのがストリップのルールなので具体的な曲名は挙げられませんが……)。
あと、香山さんはベットショー(回転盆で寝そべりながらおこなう裸のショー)に入ると、独特のチャームがまるで香水が振りまかれるようにぱ〜っと広がって、魔法をかけられているような気持ちになるんです。タトゥーやボディピアスがいっぱい入っている派手めのルックスと、ポラタイムのときのおっとりとやわらかい雰囲気のギャップもたまらない。かわいいえくぼとくっきりとした肩胛骨も好き。
この劇場でのもうひとりのお目当て、MIKAさんはしばらく体調不良で休業されていたので、素晴らしいダンサーさんだという噂は聞いていたものの拝見する機会がなかったのですが、今回ようやく観ることができました。ノーブルな顔立ちも手足の長いすらっとした体型もうつくしくて、登場した瞬間から気持ちを持っていかれたのですが、とにかくダンスが素晴らしい!
ベットショーからはじまってだんだん服を着ていくという、通常のストリップを逆回転で見ているような変則的な構成の演目で、全身全霊としか言いようのない魂のこもったダンスで……。服(マニッシュなパンツルック)を完全に着たあとのラストの曲は、踊ることについての歌詞で、いろんなことを乗り越えて踊っている彼女の気持ちとリンクしているようで、涙がだらだら流れてしまいました(観たことのないひとにはぴんとこないかもしれないけど、ストリップって泣けるんですよ! 女の私だけでなく、おじさんが眼鏡を外して眼を押さえたり鼻をすすったりしてるのもときどき見かける)。
MIKAさんはポラタイムのときの対応もていねいで、どこまでも完璧な踊り子さんで、観ているこっちの背筋が伸びる思いでした。
あと、この劇場で印象に残ったのは、少し前にデビューしたばかりの新人の中条彩乃さん。明るく素朴でひたむきな雰囲気があって、今後人気が出そう! ベットショーで脚の筋肉をぷるぷるさせながら必死にポーズをキープしているのを見て、一年後には別人のように成長していそうだとわくわくしましたね!
もっと見ていたかったけれど途中で抜けて、すぐ近くにあるDX歌舞伎町へ。お目当ては真白希実さんと清水愛さん。
清水さんはちいさなからだでキレッキレなダンスを激しく踊りまくる踊り子さん。この日に見たふたつの演目は、どちらもエアリアル・リング(空中に吊ったフラフープのようなもの)を使ったアクロバティックなもの。片方は以前川崎ロック座でも観た着物ドレスを着た演目で、もう片方はしっぽとお団子ヘアで猫になりきって踊る演目。どちらも凄まじい運動量で痺れるほど格好いい! あと、オープンショーでチップを口に咥えて笑顔で生き生きとポーズを決めているすがたも好き!
いっぽう、真白さんは伸びやかなダンスと華のあるルックスが魅力的で、登場した瞬間ステージが輝き出すようなオーラのある踊り子さんです。この日見たのは「Dreamcatcher」という演目と、今回のDX歌舞伎町だけの限定作。「Dreamcatcher」はインディアンかフラワーチルドレンっぽい衣裳で、限定作のほうは蛍光ピンクを基調としたビビットなカラーの衣裳で、どちらも持ち味である全身を大きく使ったダイナミックなダンスが素敵でした。
真白さんを拝見するのは9月の横浜ロック座ぶりだったのですが、以前の贅肉のない引き締まった体型から女性的なやわらかさのあるボディラインに変わっていて、SNSを見ると意図的にボディメイクしてお肉をつけたようで、ダイエットしているつもりなのにどんどん肉がついていく私からすると信じられない意識の高さ……。真白さんはつねに髪がつやつやでメイクも素敵で、美意識に頭が下がる思いです。
翌日、11月30日は川崎ロック座へ。お目当ては、8月に見たときに圧倒的なかわいらしさと歌う演目のユニークさにハートを射抜かれた小野寺梨紗さん。
この週は複数の踊り子さんが歌う演目を出すという趣向を凝らした内容で、さらに進行によっては二人一組で歌いながらのダブルオープンもあり、お祭り感のある香盤でした。小野寺さんは前回観たときは演歌や洋楽を歌っていたのですが、今回はアイドルソング。本人が好きで歌っているんだなあと伝わってきて嬉しくなりました。相変わらず最高にかわいかった。
なんといってもこの日印象に残ったのは、倖田李梨さんと若林美保さんのおねえさんコンビ! 倖田さんはストリップ歴は浅いものの、もともとVシネ女優や歌手など幅広い活動をしてきた芸達者なかたです。この日の最後の回に観た「SHOW GIRL」という演目は、静かなアカペラの歌唱からはじまって、超笑顔のベットショーで華々しく終わる、「ショウほど素敵な商売はない」と言わんばかりの内容で、圧倒的なエネルギーと自己肯定のパワーに感動して思わず涙が。
そのあとに出てきた若林さんはベテランで、倖田さん同様にマルチに活動している踊り子さん。80年代ディスコナンバーをてんこ盛りにした演目は、千秋楽の最終回ということもあってものすごい盛り上がりに! こういう瞬間に出会いたくてストリップに通ってるんだよなあとアガりました。若林さんのその前の回の演目はエアリアル・ティシュー(細長い布を天井から吊ってそれに絡まって踊る)で、身長のある若林さんが空中で舞うのはダイナミックで見応えがありました。
倖田さんの演目の途中、衣裳替えのあいだに若林さんが出てきて踊ったり、反対に若林さんが衣裳替えで引っ込んでいるあいだに倖田さんが踊ったりといったサプライズもあり、ふたりでのダブルオープンではオリジナルソングを歌っていて、それもすごく好みでよかったです。
12月1日は前日と同じく川崎ロック座へ。といってもきのうまでとはメンバーが違い(浅草以外のストリップ劇場は10日ごとに出演者が入れ替わる)、お目当てはみおり舞さんと武藤つぐみさん。
武藤つぐみさんは浅草ロック座では何度か拝見していたのですが、ポラ館でははじめて。ショートカットがボーイッシュな踊り子さんです。この日観たのは、あまりストリップでは観られないタイプのコンテンポラリー・ダンスの演目。もがきながら扉を叩き、つぎの世界へ進もうとする……みたいな振付です。英語の男性ヴォーカル曲に乗せて、センシティブな感情が細やかに表現されていて、剥き出しのとても尊いものを見せてもらった感じ。
みおり舞さんはローザンヌの出場経験のあるバレエダンサー。眼の大きいくっきりとした顔立ちがステージ映えして、ミュージカル的な表情のつくりかたが非常に巧い踊り子さん。この日観たのは「青い鳥」という演目で、鳥かごのなかの鳥が自由を得て空を飛びまわるようになるまでを、鳥と飼い主の女の子の両方を演じていて、ドラマチックで爽やかなステージに惹き込まれました。
武藤さんのとどちらも解放をテーマにした振付で、続けて観ると世界が繋がっているみたい。ふたりともストリップに新たな風を送り込んでくれる踊り子さんで、もっともっと観たい、今後どんな方向へ進んでいくのか追っていきたいと思わせてくれる。
このつぎの回にみおりさんは「くるみ割り人形」をベースにしたバレエの演目をやったようで、そっちも超超超観たかったけれど、帰りの飛行機の都合で泣く泣く退場。
ほんとうは拝見した踊り子さん全員について書きたいのですが、23名ぶん書いたらどんだけ長くなるんだ……と思うので、このへんで。
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当時23歳、住んでいるのは東京都目黒の下宿。作家になる前、医学生だった昭和20年の元旦から大晦日までの日記。両親を早くに亡くし、高校受験に失敗して工場で働き、22歳になってから医大に入ったという境遇から屈折したのか、シニカルで思慮深くてリアリストな若者です。いっぽうで日本は勝つまで闘うべきだと考えるバリバリの軍国青年で、現代人としてはそのギャップに少々戸惑う部分もある。多感な年ごろに時代の大きな転換期を迎え、考えたり見聞きしたことを克明に饒舌に記した日記は、読みものとしてとても面白い。軍国青年ぶりにはけっこう引いてしまうし、ときおり出てくる女性蔑視的な考えにはうんざりさせられるけれど。
日記は以下の一文からはじまる。
○運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ。(1月1日)
勇ましいですね。そしてラストの一文はこう。
○運命の年暮るる。
日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず。(12月31日)
この鮮やかなコントラストのなかに、文庫で3センチ近い分量で書かれた昭和20年という1年が詰まっている。
「かの憎むべきB公が……」などといいて笑わしむ。高輪の親父はB29のことをポー助と呼ぶ。このあいだ来訪せる某婦人はその子に「さあさ、早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」といえり。(1月6日)
日記を読んでいるとほぼ毎日のように空襲警報が鳴り、B29が空を飛んでいる。B公、ポー助、プーちゃん。すっかり空襲が日常と化してしまったなかでのB29ジョーク。
○本日、エイプリル・フール。(中略)夜、外に出て、扉をドンドンたたき、「高須さん、電報ですよ!」と叫びたてるに、便所にありし高須さん蒼くなって飛び出し来る。召集かと思いたり、三年いのちが縮んだりとて大いに怒る。(4月1日)
高須さんは工場で働いていたころの上司で、現在の下宿の主人。恩人に対して最悪な冗談です。
昭和20年のできごとというと、東京大空襲、ヒトラーの死とドイツの敗戦、沖縄の玉砕、広島長崎への原爆投下、ソ連の宣戦、そして敗戦……あたりだろうか。全部取り上げると長くなりすぎるので、8月15日を3人それぞれどう記したのか比較したいと思う。連日長文の日記を書いていた山田青年の8月15日の日記はたった一行だけ。
○帝国ツイニ敵ニ屈ス。(8月15日)
ちなみにこの前日、14日の日記はものすごーく長い。ごく一部を抜粋。
アメリカが日本人を十万人殺せば、日本はアメリカ人を十万人殺す。そうすれば日本は必ず勝つ。そうであったら、たとえこの爆弾で百万人の日本人の首が宙天へ飛ぼうと、その百万の首はことごとく満足の死微笑を浮かべているであろう。(中略)日本人はもう三年辛抱すればいいのだ。もう三十六ヵ月、もう一千日ばかり殺し合いに耐えればいいのだ。(8月14日)
「満足の死微笑」という言葉のインパクト……。このあとは、自分たちだけでも組織をつくって徹底抗戦しようと友人たちと熱に浮かされたように徹夜で議論した描写が続く。「ザ・青春!」の語り合いからの〜無条件降伏。さんざん燃え上がった気持ちのやり場のなさよ……。16日の日記もすごく長い。行数は数えていないけど1年間でいちばん長いんじゃないかな。15日になにが起こったのか、そしてどう思ったのかを深い怒りと悲しみを込めて綴っている。
降伏への強い反発は、夏が終わり秋が来て冬へと季節が移るにつれ薄らいでいく。米兵に媚びる人びとの軽薄さや、一転して軍国主義を叩く言論人の変わり身の早さを憎みながら、物心ついたころから自分が信じ続けていたものが完全に否定されるという状況の苦い味を咀嚼していく。
当時38歳。住まいは鎌倉。川端康成や大仏次郎や里見?など鎌倉文士のコミュニティに属しており、文士仲間と蔵書を持ち寄って「鎌倉文庫」という貸本屋をオープンさせるようすも書かれている。文学報国会という文学者による国策推進のための組織にも参加していて、会の集まりに出席するためによく上京して浅草などを散策して友人と呑んでいる。
若い山田風太郎の熱さに比べると、戦争に対して距離を置いていて冷ややか。だからといって反発するようすもなく、後年の人間としては「結局迎合してるじゃーん」と歯がゆさを感じたりもする。
(この日記とは関係がありませんが、プロレスラーで衆議院議員の馳浩の奥さんであるタレントの高見恭子は、高見順と愛人とのあいだに生まれた子です。っていまの20代は知ってるんだろうか、高見恭子。わたしは小学生のころ、将来は高見恭子みたいな毛先にパーマをかけたロングヘアにしたいと思っていたよ……。いちどもしたことないし今度もする予定はいっさいないけれど。高見順自身が私生児でつらい子供時代を送ったのに、自分も私生児を生ませるという、因果はまわる状態)
二十二、三から十三、四の年のものは、絶対に日本は勝つ、勝たさねばならないという固い信念を持っているねと香西君(※文藝春秋の社員)は言った。(三月八日)
まさしく前述の山田風太郎はこの世代で、勝利への意識は世代間ギャップが大きかったことがわかる。日本が軍国主義一色になる前の時代を知っている世代と、知らない世代。
「お掘んなさい」
と川端さん(※川端康成です)がすすめる。川端さんはその鎚とのみで裏に自分で防空用の横穴を掘った。
「力がいりやしないかしら」
「力なんか、ちっともいりませんよ。ひとりでコツコツやっていると、何んにも考えないで、いい気持ちですよ」(4月15日)
川端康成というと小柄でひょろひょろで力なんてぜんぜんなさそうなイメージだが、ひとりで防空壕を掘ったとは。
爆弾除けとして、東京では、らっきょうが流行っている。朝、らっきょうだけで(他のものを食ってはいけない)飯を食うと、爆弾が当らない。さらに、それを実行したら、知り合いにまた教えてやらないとききめが無い。いつか流行った「幸福の手紙」に似た迷信だ。(4月24日)
チェーンメールがそんなにむかしからあることに驚愕。チェーンメールの歴史も気になってきた。
つぎは終戦の前日、8月14日の日記。
駅に向う途中、高島君(西日本新聞社の記者)の友人らしいのが、
「十一時発表だ」
と言った。四国共同宣言の承諾の発表! 戦争終結の発表!
「ふーん」
みな、ふーんというだけであった。溜息をつくだけであった。(8月14日)
国民は寝耳に水で降伏を伝えられたというイメージがあるけれど、高見順は前日にフライングで降伏を知っていた(時間は間違ってるけれど)。それに対しての反応の乏しさ。戦争末期にはみんな疲弊しきってすさんで麻痺していたことがよくわかる。翌日、8月15日の日記。
十二時、時報。
君ガ代奏楽。
詔書の御朗読。
やはり戦争終結であった。
君ガ代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。
――ついに敗けたのだ。戦いに破れたのだ。(中略)
軍曹は隣りの男と、しきりに話している。
「何かある、きっと何かある」と軍曹は拳を固める。
「休戦のような声をして、敵を水際までひきつけておいて、そうしてガンと叩くのかもしれない。きっとそうだ」
私はひそかに、溜息をついた。このままで矛をおさめ、これでもう敗けるということは兵隊にとっては、気持のおさまらないことには違いない。このままで武装解除されるということは、たまらないことに違いない。その気持はわかるが、敵をだまして……という考え方はなんということだろう。さらにここで冷静を失って事を構えたら、日本はもうほんとうに滅亡する。植民地にされてしまう。そこのところがわからないのだろうか。
敵をだまして……こういう考え方は、しかし、思えば日本の作戦に共通のことだった。この一人の下士官の無智陋劣という問題ではない。こういう無智な下士官にまで滲透しているひとつの考え方、そういうことが考えられる。すべてだまし合いだ。政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます、等々。(8月15日)
戦時中は感情を抑えた冷静な記述が多い高見順だが、敗戦以降は苛立ちを隠せない荒っぽい書きぶりが増えてくる。
軍隊のこの個人主義。癇が立つ。水兵が汚いのも、癇にさわる。まるで敗残兵だ。連合国の兵隊はもう上がっている。この汚い日本の兵隊を見たらどう思うだろう。口惜しい。癇が立つ。頭上を低空で占領軍の飛行機が飛び廻っている。癇が立つ。ポカンと口をあけて見上げているのがいる。バカ! なんでもかんでもシャクにさわった。神経がささくれている。(8月28日)
「バカ!」の身も蓋もなさ……。以降、米兵に「ハロー、滋賀劣等(シガレットの発音が悪くてこう聞こえる)」と話しかけて煙草をもらおうとしている闇屋を見かけて腹を立て、電車内でこれ見よがしに『ライフ』を広げて読んでいる中年の紳士を見かけて腹を立て、新しい煙草の名前が「ピース(平和)」なんてあさましいと腹を立てている。
高見順は学生時代、左翼系同人雑誌に参加してプロレタリア文学に取り組んでいた。しかし治安維持法違反で検挙されて転向し、戦時中は政府にすり寄って文学報国会にも参加し、だけど敗戦で軍国主義は滅び民主主義がやってきて……と時代に翻弄されて何度も価値観の転換を余儀なくされた人生だった。老いてから振り返って苦々しく思うことも多かっただろうなと思う。
焼盡はしょうじん、と読みます。前のふたりの日記とは違い、昭和19年11月から20年8月21日までの日記なので、戦後の記述はほとんどなし。住まいは東京都麹町。当時56歳。召集に怯えなくていい年齢だ。この時期は執筆活動をしているようすはなく、日本郵船の嘱託社員をやっている。昼過ぎ出社で水曜と土日が休み、社内に自分の部屋を与えられているという夢のような待遇!
高見順の日記は戦争とのあいだに薄い膜を感じたが、百?の日記はさらに壁の向こうのできごとという感じがする。戦局に対する意見や日本はこうあるべきみたいな話はほとんど出てこず、こまごまとした生活の記録が大半を占めている。日常描写、それも食べものやお酒が足りなかったり入手できたり、といった記述が多い。
戦争に熱狂した人びとがいたいっぽうで無関心なひとも多く存在して、その両方があのようなかたちへと日本を動かす要因になってしまったんだろうなあ……と思う。乃木将軍の顔の切手を嫌って景色のイラストの切手を買いだめしたり、文学報国会を「文士が政治の残肴に鼻をすりつけて嗅ぎ廻つてゐる様な団体」とこき下ろしたり(百?は文学報国会の入会を拒んだ数少ない作家)、といった厭戦気分はあるんだけど。
朝の御飯にお米が足りなくて心細き限りなり。お粥にマカロニの残りを混ぜたものを食ふ。(2月21日)
この頃では味噌はバタやチーズに匹敵する。子供の時、味噌をおかずにすると七代貧乏すると教へられたが、今が丁度七代目なのであらう。(6月19日)
この頃の胡瓜は昔に食べた林檎バナナ水蜜桃葡萄等の水菓子から一切の野菜類は更なり清涼飲料の炭酸水ジンジヤーエールやアイスクリームシヤベエ迄も含めた食べ物になつている。(8月16日)
穀物や根菜でご飯をかさ増しした話はよく聞くが、マカロニは初耳! 味噌がバターやチーズみたいだというのはわからなくもない。きゅうりはこんなに褒められたらきゅうり冥利に尽きるだろう。ほかに、家のなかに迷い込んできた雀を捕まえ、焼いて食べようと思ったものの、悩んで泣き出しそうな気持ちになり、結局雀を逃がすという描写もある(2月26日の日記)。雀を逃がしたのは、百?は小鳥が好きでこのころもいろいろ飼っていたからかもしれない。
目白、駒、鶸(ひわ)の世話をしたり、ヒヤシンス、サフランの鉢を日向に出したり、菜園に水をやつたりして長閑な気持ちでゐると、午過十二時二十分警戒警報鳴る。(3月28日)
この鳥たちも、籠に入れて持ち出した目白以外は5月25日の空襲で家ごと燃えてしまう。いったんは籠に入れて持って行こうと思ったけれど結局そのままにされた不憫な駒と鶸、目白との格差を感じる鳥ヒエラルキー……。
百?は今回取り上げた3人のなかで唯一、最後まで東京にいた人物である(山田風太郎は空襲で下宿や大学が焼けて大学ごと長野に疎開し、高見順はずっと鎌倉にいた)。空襲で焼け出されたあとは、近所に住むバロン松木(プロレスラーかお笑い芸人みたいな名前ですが松木男爵ってことです)の豪邸の敷地内にある粗末な小屋で暮らしていた。敗戦の前日である8月14日、近所で火事騒ぎが起こる。
家内が出て見て市ヶ谷本村町のもとの士官学校跡の大本営のうしろの方に火の手が上がつてゐると云つた。(中略)普通の火事はこの頃珍らしく、太平の趣がある。(中略)消防自動車が門の前でぶうぶう鳴らしても開けないし、門番もゐるのだが案外平気な顔をしてゐたと云つた。その話を聞いて何か焼き捨ててゐるのではないかとも思はれた。(8月14日)
市ヶ谷の軍部が降伏の前にあわてて資料を焼く場面、映画『日本のいちばん長い日』などでもお馴染みだが、火事だと思われるほど派手に燃やしていて、しかも資料を焼いているのだろうと民間人にバレていることに少し驚いた。
そして8月15日。
昨夜より今日正午重大放送ありとの予告あり。今朝の放送は天皇陛下が詔書を放送せられると予告した。誠に破天荒の事なり。(中略)正午少し前、上衣を羽織り家内と初めて母屋の二階に上がりてラヂオの前に座る。天皇陛下の御声は録音であつたが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まず。どう云ふ涙かと云うことを自分で考へる事が出来ない。(8月15日)
……以上、3冊をちょちょことかいつまんで紹介してみましたが、ごく一部だけなので、気になったかたは読んでみてください。とくに3月10日未明の東京大空襲の描写とか、その後の焼け跡の人びとのようすだとか、戦後の駅にいる浮浪児たちとか。市井の人びとはどんな暮らしをしていたのか、もしこういうことがまた起こったらどう関わればいいんだろうと考えたりだとか。
最後に高見順の日記より。
]]>午後、仕事にかかる。
ヒロポンをのんで徹夜。(8月2日)
真白希実さん
ダイナミックさと細やかさ、色っぽさを兼ね揃えたステージは完成度が高くて見応えがあります。手足を大きく使ったダンスはとても伸びやか。はじめて観たのはカラフルに光る電飾入りドレスを着た演目で、それまでポラの列に並んだことはなかったけれど、ステージを観てぽーっとしたまま勢いで並び、初ポラをキメました。先日は浅草ロック座でステージへの花の差し入れもやってみましたが、タイミングがずれたらステージをぶち壊しかねないので緊張したよね……。
人気・実力ともに現在トップクラスの踊り子さんなので、トリをつとめることが多いです。今月10日までは浅草ロック座でフラメンコを踊っています。
小野寺梨紗さん
なんと歌う踊り子さんです! ヘッドマイクをつけてステージ上で踊りながら歌ったり、ハンドマイクを持って客席をまわったり、歌謡ショー状態。ストリップで歌うことに対しては好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私としてはお得感がすごくある。演歌も洋楽もとても上手です。日本舞踊をやっていたそうで、ダンスは動作がやわらかい感じ。
ルックスはめちゃくちゃかわいいです! 全身かわいくて妖精みたい! 儚げでどこかあやうい雰囲気で、腕の上部にアームカットのあとがいくつもあって、私が男だったら「おれが彼女を救う!」とガチ恋ファンになっていたであろう。どういう人生を歩んできたのかはわからないけれど、しあわせになってほしい。いや、踊り子さんにはみんなしあわせになってほしいけど、この子はすごくほっとけない感じがあって心配で……。
今月10日まで川崎ロック座に出ています(余談ですが浅草以外の劇場は10日ごとに出演者が変わります。8月頭・8月中・8月結というように)。いまの時期の川崎は冷房が効きすぎているので、羽織るものを持って行くことをオススメします。
みおり舞さん
ローザンヌ出場経験のある本格派バレーダンサーです。前も書いたけれど3月に新宿ニューアートで観た「ボレロ」! 詳しくは前回のを読んでください。8月末までは浅草ロック座でインド舞踊を踊っています。
浅葱アゲハさん
空中ショーで有名な踊り子さん。エアリアルといって、天井から吊り下げられた布をからだに巻きつけて、くるくるまわりながら空中で舞ったりします。シルク・ド・ソレイユでお馴染みのやつですね。この空中ショー、観ていると多幸感で脳にへんな汁がどばどば出ます。
空中以外のダンスや衣裳もオリジナルな世界観があって唯一無二の存在。そして腹筋バッキバキです。女の筋肉、好き……。
武藤つぐみさん
ショートヘアに、筋肉質で小柄で全身バネのような肉体。はじめて観たときは仮面をつけていて顔が隠れていたので、「えっ、男の子!?」と一瞬思ってしまったほど少年的。軟体で背筋がとても強く、立って頭を後ろに反らす上体反らしが見事です。
8月末までは浅草ロック座で、トルコの宗教的舞踏のセマーを題材としたひたすらぐるぐるとまわる神秘的な演目を踊っています。(個人的な話になるけど、私は以前トルコ旅行をしたときにこのセマーの寺院をおとずれ、ヒジャブをかぶって「愛」という文字のネックレスをしたトルコのティーン女子に「日本のアニメが好き」と話しかけられた経験が。英語力もアニメ知識もないため、ろくに会話ができなくて申し訳なかった思い出……)
アキラさん
かろやかで弾むような、運動量の多いダンスが魅力的。はじめて観たときはアカデミー賞を取った某ミュージカル映画の曲(ストリップにはネット上に曲名を書かないというお約束があるので遠回しな表現ですみません)に合わせてバレエ風のダンスを踊っていて、とてもよかった。
動きまくるせいかかなりの汗かきさんで、ベットショーのころには背に川のように、それも一級河川の利根川のように汗が流れており、ポーズを決めるごとに空中にしぶきが舞います。オープンショーではタオルを持って汗で濡れた床を拭きながら開脚しています。つぎの踊り子さんが滑って転んだらたいへんだからですね。今月10日まではシアター上野に出ています(この劇場はまだ行ったことがないけれど)。
清水愛さん
「あい」ではなく「まな」と読みます。同じ字で読みが違う声優さんがいるようですが別人です。小柄で骨格が華奢ですが、ダンスはキレがあってパワフル。とくにヒップホップは観ていて小気味良い。某「拾ったノートに人名を書くとそのひとが死ぬ漫画」をモチーフにした演目があるのですが、ツインテールのヒロインのコスプレがとても似合っていました(まどろっこしい文で申し訳ない)。
細い上半身に反して、ふとももはアスリートのようにがっちりしていて格好いい。腹筋も超かたそう。今月10日までは広島の劇場に出ています。
ほかにも素敵な踊り子さんはいっぱいいるのですが、ひたすら羅列するよりは実際に観たほうがいいと思うのでこのへんで。今年は日本のストリップ70周年の記念の年だしね。それに同じ踊り子さんでも、演目によって印象ががらりと変わります。初見ではいまいちだと思っていてもほかの演目で圧倒されたり、その逆もあったり。いつどこの劇場にだれが出演するのか? というのはこういうサイトで調べられます。
私はどちらかというと引き締まっていてダンスの巧い踊り子さんや、一芸を持ってる踊り子さんが好きなのですが、どこに魅力を感じるかはひとそれぞれ。芸歴20年オーバーの踊り子さんも珍しくないのがストリップの世界、ベテラン勢の魅せかたを心得た円熟味のあるパフォーマンスや、加齢と自己鍛錬のあいだで揺れる肉体もうつくしいものです。
文字ばかりなので最後に写真を。川崎ロック座。(出演者一覧のポスターと車のナンバーはいちおうぼかしを入れています)
この写真では見えませんが、店先に2匹のでっかい亀(クサガメ?)がいます。なんで?
]]>「ストリップを観る」ということに対して、性的な搾取に荷担しているのでは……と後ろめたさも感じているのだが、でも好きなので語りたい。語らせてください。
それにしても、女性が他人の女性器をじかに見ることはあまりないのではないか。男性ならトイレで横をぬっと覗き込めば、かんたんに同性の性器を見ることができる(「いや、覗き込んだりしないよ!」とこれを読んでいる男性陣は突っ込みたくなるかもしれないけど)。私はスーパー銭湯やサウナが好きで、そういった場ではみな裸になっているにもかかわらず、「ひとの局部がばっちり見えてしまった!」という経験をしたことがない(べつに見たいわけではないです)。引っ込んでいる形状のせいというのも多分にあるだろうけど、すごく妙なことのように感じる。
話がずれてしまった。はじめてストリップを観たときは、「女神……!」という凡庸にもほどがある感想が浮かんで自分の発想の貧しさに若干落ち込んだが、初見でこの言葉を思い浮かべないひとはいないと思う。
ストリップの流れをかんたんに説明すると、まず、本舞台で着衣で2〜3曲ほど踊る。それから舞台上で、あるいはいったん袖に引っ込んで、脱ぎやすい薄物やセクシーなランジェリーすがたになり、細長く伸びた花道を踊りながら進んで盆と呼ばれる回転する円形のステージ(中華料理店の円卓を大きくしたものを想像してください)に辿り着く。この盆でおこなわれるのがメインであるベットショー(ベッドではなくベットが正しいらしい。外来語が下手な時代についた名称なんだろうか?)だ。ストリップと言われてたいていのひとが思い浮かべる、裸でライトアップされながら踊るショーです。
正直、本舞台での着衣のダンスは、踊り子さんや演目によって惹きつけられたりいまいちだったり……とばらつきがあるが、盆に寝そべったとたん、どんな踊り子さんも例外なくひとりひとりがほんとうに特別な輝きを放つのだ。ピンクや青の照明を浴びた汗ばんだ肌は独特の光沢を放ち、なまめかしいのにつくりものめいた不思議な質感で、ポーズを決めて静止するすがたは生きている彫刻のようだ。
私がはじめてストリップを観たのは浅草ロック座で、ここではベットショーが終わってはける直前のほんの一瞬、踊り子さんに花束を渡すことができる。笑顔のおじさんが跪いて女神に花束を捧げるすがたはすごくよかった。
現在の日本のストリップ劇場は大まかにポラ館とそれ以外に分かれる。ポラ館とはポラロイド撮影のできる劇場で、いったん舞台袖にはけた踊り子さんが衣裳チェンジして出てきて、有料でポラロイド撮影ができる、お客さんとの交流タイムがある。差し入れを渡したり喋ったり、要するにアイドルの握手会みたいなものだ。撮影は着衣と全裸の好きなほうを選べて、ポーズも指定できる。
女神がしもじもの者の指示に従ってポーズを取って写真を撮られ、会話を交わすなんて……とはじめてポラタイムに遭遇したときはかなり複雑な気持ちになってしまった。ポラが終わったあとは再度衣裳チェンジしてアップテンポの明るい曲とともに登場し、オープンショーがおこなわれる。くわしくは説明しないけど、笑顔でけっこう露骨なことをするショーです。正直私はポラタイムとオープンショーは踊り子さんの負担的にどうなんだろうって思うけど、劇場の収入や集客を支えている面もあるのだろう。
私にとっての初ポラ館はゴールデン街の入口のすぐ近くにある新宿ニューアートだった。おっさんパラダイスな空間で、女性ひとり客には正直けっこう居心地が悪く、はじめてのストリップがここだったら印象がかなり異なったのではと思う。とはいえ、女性客だからといって不快な思いをさせられることはめったにない……はず。
池袋ミカド劇場はさらに場末感のある空間で、圧倒的に狭く、盆は回転しない。盆というよりも短い花道って感じ。正直キツいなと場内に入ったときはぎょっとしたものの、お客さんのあいだにアットホームな雰囲気があり、席を譲ってもらったり気さくな男性客に「ボクのつくった踊り子さんランキング」的なペーパーをもらったりと、慣れれば過ごしやすかった。私はここではじめて「リボンさん」を見た。踊り子さんの決めポーズに合わせて紙テープを客席の端から飛ばす職人芸的な応援をするお客さんたちのことです。ほかにも「タンバさん」というタンバリンを叩いて応援するひとたちもいる。
でもまあ、女性の初鑑賞なら非ポラ館である浅草ロック座をオススメします。バックダンサーもいてショーアップされていてあまり露骨じゃないし、劇場に清潔感があって映画館みたいな座席だし、女性客がそこそこいるし。あと、どこの劇場もたいてい女性割引をやっています。
それぞれの場内図。うろおぼえなので間違っている可能性大。あと、浅草ロック座には本舞台の奥から前盆の手前まで進む移動盆もあるのですが、書き忘れました。
私のいまのイチオシ踊り子さんはみおり舞さん。元バレエダンサーでローザンヌに出場経験があるそうです。はじめは浅草ロック座で観て、ベットショーでの見事なI字バランスや足指の使いかた(足の指で器用にリボンをつまんでポーズを取っていてその指の動きがとても色っぽかった)などに感銘を受けたが、そのときはそんなに強い衝撃はなかった。だけど、その後新宿ニューアートでラヴェルの「ボレロ」に合わせて全裸でバレエを踊る演目を観て、彼女のことが大好きになってしまった。
通常はダンスショーとベットショーを3〜4曲使って踊るところを、「ボレロ」1曲で踊り通す潔い演目だった。前述のとおり、普通は着衣で登場して本舞台で踊るのだが、彼女は全裸にアクセサリーだけを身につけて盆に横たわった状態からスタートした。踊りはじめたとたん、場内の空気が変わるのがわかった。ゴールデン街のすぐ脇にある地下のストリップ劇場にいるという認識がだんだん薄れていき、古代ローマの野外劇場で神に捧げる踊りを観ているんじゃないだろうかと思ったぐらい、神々しかった。
もういちど観たくてつぎの回も観たのだが(入れ替え制ではないのでいちど入場したらその日は何公演でも観ることができます。受付に券をもらえば再入場も可)、今度はミュージカル調の違う演目だった。ダンスなのではっきりとしたストーリーはわからないけど、田舎から出てきた少女がダンサーを目指し……みたいな話だったように思う。こっちも踊ることの喜びに満ちていて、観ているうちに涙がこみ上げてきた。
ほかにも好きな踊り子さんや見たいと思っているのになかなかタイミングが合わない踊り子さんがいるけれど、その話はまたの機会にでも。
全国のストリップ劇場は着々とすがたを消しつつあり、私の住んでいる札幌も数年前になくなった。今後空前のストリップブームが起こり、子どもの将来の夢第1位がストリッパーになったり女性誌で「ストリップダンサーに学ぶモテテク!」などの特集が組まれたりEテレで「趣味のストリップ鑑賞」という番組がはじまったりする日がやってくる可能性もゼロではないが、やっぱり消えゆく芸能なんだろうかと歯がゆく思っている。踊り子さんも永遠に踊り続けるわけではなくみなさんいつか引退するので、興味があるかたは、いちどぜひ。
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大正初期の北海道のタコ部屋に連れてこられた東京の男子大学生、同じ時期に網走の遊郭へ向かう女性、そして現代の就活生がトリプル主人公のお話です。大正時代がメインの舞台ではありますが、残業時間の上限が100時間に決まったり企業のやりがい搾取が問題になったり芸能界やAV業界で問題が噴出したりしている今日このごろにも繋がる話になっています。資料を調べている最中、100年経ったのにこの国の構造はなにも変わっていないのでは……と怖くなりました。いままで書いてきたものとはかなり毛色が異なる、ザ・新境地って感じなので、世に送り出す側としては緊張で胃から万国旗や金魚を吐き出しそうな状態ですね。
当初はぜんぜん違うタイトルで書いていたのですが、「漢字一文字で!」というオーダーを受けていろいろ考えてこれに決まりました。「豚」とか「腋」とかにならなくてよかったです。凜という漢字には「凜とした」というような意味合いのほかに「寒さが厳しいさま」という意味もあるそうです。ちなみに凜と凛は異字体で、どっちでもいいっちゃいいんですが、凜が正字で凛が俗字とのこと。
書きはじめたのは2015年の6月ごろで、当時取材のためにおとずれた某駅はすでに廃止になってしまいました。そのとき撮った写真があるのでここに載せておきます。小説の冒頭あたりに出てくる駅なので、読めばどこなのかはわかるかと。
トイレも自販機もない無人駅。壁には「熊出没注意!!」の貼り紙が貼られている(写真には写っていないけど)。ひとつ手前の駅にあったミニ図書館で司書さんに電車の乗りかたを訊ねると、「その駅に行きたいっていうひとにはじめて会いました!」と驚かれた。
うっかり電車に乗りそびれて、この駅で数時間過ごしたのですが、そのあいだ見かけた人間は畑仕事をするおばあさん1名、猫は5匹ぐらい。おばあさんと猫どちらからも警戒の眼差しで見られた。
数軒ある家の大半は廃屋。
小説のなかにも出てくる、タコ部屋労働者の追悼碑。
おまけのセクシーショット。網走監獄の刺青が超ドープなマネキンたち。
なんだか話が逸れてしまいましたが、新刊『凜』読んでいただけますとたいへん嬉しいです。
装丁は単行本のときと同じく大久保伸子さん。写真は大村祐里子さんの作品をお借りしました。私の本で表紙にイラストではなく写真を使っているのははじめてですね。雰囲気があって想像が広がる感じの写真で、気に入っています。
中身はといいますと、一枚の千円札をめぐる短編連作集になっています。二十代後半から三十代前半の女性がそれぞれ主人公で、うまくいかない現状に足踏みしている彼女たちが出口を求めて足掻くお話です。私はお金のことが苦手で(そもそも指を使わないと繰り下がりの引き算ができないぐらい数字がわからない)、金銭的な将来設計を考えようとすると宇宙空間のことを考えるときと同じぐらいかそれ以上に意識がもうろうとするし、家計簿をちゃんとつけたことすらないのですが、この小説はお金が全体を通してのモチーフになっています。
続いて、雑誌掲載をふたつほど。
現在発売中の「小説現代」3月号の、猫好きのためのにゃんそろじーと題された猫小説特集に短編を書いています。「ファントム・ペインのしっぽ」というタイトルです。
猫アンソロジーに書くことは夢のひとつだったので、叶って嬉しいです。そうそうたるメンバーのなかに混じっていて、場違いな感じがはなはだしいですが……。猫小説といっても、癒やし系の話ではなくなんだか辛気くさい話になってしまいましたが、読んでいただけますとさいわいです。
あと、「特選小説」4月号に「修羅の君」という短編を書いています。こちらも現在発売中です。「特選小説」は成人指定のアダルティな雑誌ですので、ご注意を!
修羅の君とはなにかっていうと、クレマチスの品種名です。花の。主人公は寺沢くんという青年でヒロインは美佐世さんという女性なのですが、このふたりの名前もクレマチスの品種名から取っています。
私は去年の秋にベランダをクレマチスで覆い尽くそうと思い立ち、苗をいくつか買って植え替えて春に備えていたのですが、冬のあいだに飢えたカラスに荒らされほじくられ、芽が出る前にやる気を失っている状態です。花で埋めるはずのベランダは現在土がまき散らされて荒野のようなありさまに。
それと! 3月14日に書き下ろしの長編が講談社より出る予定です。タイトルは『凜』。現代と大正時代を舞台にしたお話です。いままで書いてきたものとはがらりと変わっているんじゃないかなと思っています。
詳しくは発売日になってから告知させてください。とはいえ、ちょうど確定申告(まだまったく着手していない)の締切と時期がかぶっていて、さきのことはなにも考えたくない気分なのですが。無事に確定したり申告したりできたら(そもそも毎年「これで合ってる……?」とどきどきしながら提出しているので、むしろ不確定申告と呼びたい)、また、ここで!
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さて、いま店頭に出ているはずのポプラ社の小説誌「asta*」2月号に短編小説を寄稿しました(それにしてもポプラ社の「asta*」の紹介ページ、2年前で止まってる……)。「明日町こんぺいとう商店街」という架空の商店街に、複数の作家さんがお店を持って物語を書く、というシリーズ(すでに文庫で3冊出ています)で、私は「ツルマキ履物店」という靴修理専門の履物屋さんのお話を書きました。戦前からある古い店で働く見習いの若い女の子と店主の偏屈ジジイの物語です。ずっと参加したいと思っていた企画なので、声をかけてもらえて嬉しかったです。お手に取っていただけますとさいわいです。
ほかには、2月7日に『愛を振り込む』の文庫版が幻冬舎文庫より出る予定です。これは2013年に出た単行本の文庫化です。20代後半〜30代半ばの人生があまりうまくいっていない6人の女性にひかりが差す一瞬を描いた、短編連作集です。本が手もとに届いたら、再度告知させてください。
あと、私は2015年の秋ぐらいから服を縫うことに凝っていて、洋裁ブログもやっているので、お暇でしかたないかたは見てやってください。→縫ーベルヴァーグ
去年の9月で更新が止まっており、すでに飽きていることが一目瞭然ですね。購入したものの手つかずのままの布が部屋を覆い尽くし、早く縫えと私にプレッシャーをかけています。その前はカクテルづくりに嵌まっていてカクテルブログをやっていたんですが、こっちはブログのアドレスすら思い出せない状態です。手を出しては放置して、手を出しては放置してで、これが趣味ではなく異性だったりしたらたいへんなことです。それでは。
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選挙は人間がおこなうもので、人間模様からは物語が生まれる。そして私は物語が好きだ。孤立無援で闘う泡沫候補も、大組織の複雑な力関係やしがらみの渦中にいる有力候補も、どちらにも面白みがある。
エンタメとしての選挙、というとまっさきに思い浮かぶのは三島由紀夫の『宴のあと』だ。作品そのものよりも発表後のプライバシー裁判のほうが有名だが、シニカルで面白い選挙小説である。この小説からは「日本の選挙や政治なんてこんなもの」という諦観が垣間見えるのに、なぜ三島は思想に傾倒してあんな晩年になっちゃったのか……と口惜しく思うが、政治を信じていなかったからああいう行為に出たのだろう。
『からっ風野郎』(1960年公開の映画。主演三島由紀夫、ヒロインは若尾文子)の出演だとか、三島は自分が物語のなかに入りたかったひとなんだろうなと思うし、「自分がつくり上げた物語の主人公として死にたい」みたいな理想があったんだと勝手に理解している。主義主張には賛同できないが、あの悲惨で独りよがりな最期も含めて私は三島が好きだ。
市ヶ谷の自衛隊駐屯地のバルコニーからクーデターを呼びかけたあのとき、かんじんの自衛隊員たちは昼どきで空腹だしヘリコプターのせいで三島がなにを喋ってるのか聞こえないし、早く終わってほしいと思っていたというエピソードも悲壮で切なくていい。
テレビ東京の池上彰の選挙特番も選挙エンタメとしてすっかり定着した。私は投票日の夜は選挙速報を流しているすべての局をザッピングしながら見ているが、ついついテレ東を見ている時間が長くなってしまう。池上氏の番組のいちばんの見どころは当選した政治家や各党党首へのインタビューだろう。釣り針にぱくっと食いついてしまう政治家を見ると「器がちっちゃいなー」とがっかりするし、スマートにかわすさまを見ると「このひと、思ってたよりもクレバーなんだな」と評価が上がったりする。
引っかけ問題みたいな意地の悪い質問は卑劣ですらあるが、選挙用のアルカイックスマイルが剥がれて素顔が垣間見えるのは単純に面白い。(池上氏は嫌われて憎まれることをみじんも恐れていないことがすごいと思う。私はたぶん死ぬまでその境地には辿り着けない)
さて、今回の都知事選。都民ではない私(北海道民です)は「だれに投票しよう」と悩む必要がなく、さほど罪悪感を覚えずに楽しめる。(とはいえ、東京の決定は全国に波及するので、そんなに他人ごとではないのだけれど)。
3人の主要候補で、物語的にいちばん面白みがあるのは小池百合子氏だろう(面白みがある=支持しているということでは必ずしもありません。って投票権がないんだからこんな予防線を張らなくてもいいのだけれど)。告示直前で折れ、涙ながらに支援者たちに出馬取りやめを伝えたという宇都宮氏のまっすぐさとつらい挫折にも私はすごくぐっとくるのだが(年齢的に今回がラストチャンスだったかもしれないのに!)、残念ながら候補ではないのでここでは除外する。
先日、石原慎太郎氏が小池氏に対して「大年増の厚化粧」と言って物議を醸した。これはうんざりするような旧時代的な性差別発言だが、私は彼女をテレビで見るたび「ユリコ、人相悪くなったなあ……」と思っていた。人相とは不思議なもので、生活や思考がすぐに人相に表出してしまうひともいれば、どんなに乱れた私生活を送っていてもつるりとした顔つきのまま、というひともいる。
小池氏の人相が悪くなったのは、おそらく都議会のドンを自分の敵と定めたためだろう(都議会のドンがどういう人物なのかという話は、いま私が喋りたいことではないので知らなかったらググってください)。鬼を倒すには自分が鬼になるしかないということなのだろうか。彼女の思想や政策や手腕などはさておき、元「芦屋のお嬢さま」が鬼を倒すために鬼になる女戦士というのはぞくぞくする。
小池氏の物語で良い味を出している登場人物といえば、若狭議員だ。小池氏を支援したら除名を含めた処分をすると言って締めつけようとする自民党都連に「除名できるなら除名してみろ」と反旗をひるがえした、元東京地検特捜部の衆議院議員である。
彼は小池氏の応援演説で「すごい惹きつけられている」と恋の告白じみたことを言い、「全然、(恋愛などの)問題ではないですよ」と照れ笑いし、「百合子、百合子って数え切れないくら言ってる。こんなに女性を呼び捨てにできることはうれしいことなんですが、選挙後は小池都知事と呼びたい」と浮かれている。
この蜜月感。アドレナリン出まくってる感。私はひととひとが親密になり蜜月を迎えるがやがて憎しみが生まれ殺しあいに発展する、みたいな物語が大好物なのだが(『仁義なき戦い』みたいなことです)、こんなに愛がスパークするところを見せつけられると、すごく勝手ながらその後の破局といがみあいに期待してしまう。
主要3候補ばかり取り上げられがちな都知事選だが、私は選挙の真の主役は泡沫候補だと思っている。おそらく戻ってこないであろう供託金300万を払って世に訴えたいことがあるひとたちだ。なんてピュアなんだろう(ただの目立ちたがり屋もいるかもしれないが)。今回は18人も出ているのでありがたい。
なかには眉をひそめたくなるようなことを言っている候補もいるが、それでも全体を見ていると「世のなかにはこんなにさまざまな考えのひとがいるんだなあ」と嬉しくなる。思想は十人十色であるべきなのだ。多様性を持たない生物は滅びる。
「私の公約はただひとつ。『NHKをぶっ壊す!』でございます」とNHKの政見放送で笑顔で言い切った立花孝志氏(NHKから国民を守る党)がキャッチーさでは一段上だが、武井直子氏の「天皇制を廃止し、今上陛下を初代大統領に」という政策には度肝を抜かれた。廃止論者はめずらしくないが、そこから「大統領に」という飛躍は超アクロバティックだ。どこにでもいる近所のおばちゃんっていう雰囲気の女性が、こんな斬新な思想を持っているということに驚かされる。毎朝ゴミ捨てのときに挨拶を交わす名前も知らないおばちゃんって感じなのに!
すっかり泡沫候補界の有名人となったマック赤坂にも触れたい。『映画「立候補」』(マック赤坂をはじめとする泡沫候補を取り上げたドキュメンタリー映画)で、紙パックの日本酒をちゅ〜〜っと呑み干してから街頭に立ち選挙活動をする場面を見て以来、私には彼がなんだか格好良い存在に見えてきている。ひとには理解されずあざ笑われる行為を、素面ではできないのに高額の供託金を払って続けている孤高の人物。ひとによってはただのアル中ジジイじゃないかと思うだろうけど。
マック赤坂は以前から「同じ供託金を払っているのになぜ一部の候補だけを大きく報道するのか」というようなことを訴えてきた(そもそも供託金は、金銭事情に関係なく出馬できるようにもっと安くするべきだと思う)。数日前、「報道ステーション」で泡沫候補18人の選挙活動をVTRで紹介し、増田氏・小池氏・鳥越氏を「このほかご覧の3人が立候補しています」と省略しているのを見て、奇矯なひとの意見であっても、訴え続けていればやがて届くのだとちょっと感動してしまった。「とりあえず紹介はしときましたからね」みたいなアリバイづくり的扱いではあったけれど。
アドレナリン全開で選挙活動をしている候補者を見ると、あまりに楽しそうで、議会制民主主義の国に生まれたからにはいちどは出馬してみたい! とうっかり思ってしまう(すぐに冷静になるが)。政治家はみんな、選挙が好きなんだろうなと思う。お金がかかるし体力的にハードだろうけど、それでも。
選挙が近くなると必ず「選挙に行こう!」と訴えるひとがわらわら湧いてくる。選挙権が18歳以上になってからは「若者よ、選挙へ」みたいな話がいままで以上に語られている。だが、頭ごなしに言われて「そうか、行かなきゃ!」と素直に受け止めるならそれは若者じゃないし、「政治に参加することの意義」みたいな正論で説得されるようなひとはすでに選挙に行っている。それよりは、「選挙ってじつは楽しいんです」ということを語るほうが効果があるんじゃないか。良識のあるひとからは不謹慎に見えようとも。
私は、投票とはパーティのビンゴカードみたいなものだと思っている。なくてもパーティじたいは楽しめるだろうけど、カードを入手して参加したほうがより楽しい。世のなかには愉快なパーティよりもつまらないパーティのほうが圧倒的に多いけど、それはさておいといて。
]]>「誤解を恐れずに言うと、ひとから誤解されるということは、そんなに怖いことじゃない。自分のこころのままに生きるということは、つねに戦い続けるということだから」
「AV初絡みが終わった。やたらと照明が明るく、私の邪悪なこころまで白日の下に晒された。緊張し、口が渇いた。こんな私をあなたは、そしてあいつはどう見るんだろう」
]]>「宴のあとの寂しさが胸に迫る。堕落を目論む思いすら、快楽に溺れたいまの私には遙かかなたのことだった。私は決して強い人間ではなかった。不十分な人間だからこそ(ここで囁きボイスに)悩み続けている」
と力んだ前説が載っているが、編集部の啓蒙の甲斐なく、21世紀の日本においてグラマーは“裸体美”どころか“肥満ぎみ”の婉曲表現としても使用されている。グラマア《GLAMO(u)R》〈名詞〉魅力、魔力、魅惑…………
英和辞典をひくと、こうでています。
どうやら、わが国では“裸体美”とでもいった意味にとられているようですが、それは大きな誤解といわなければなりません。そこでこの記事は、「グラマア」の意味を考えるとともに、百万女性読者がより「魅力ある女性」になることをねがって、あなたへおくる――魅力のノート――なのです。
初っぱなから、既製服しか買わない現代人には回答できない質問が並ぶ。(一)あなたが洋服などを新しく作る店は、いつもおなじですか。
(イ)同じ店です。
(ロ)これといってきまっていない。
(二)あなたが洋服などを新しく作るとき、デザインはデザイナーにまかせますか。それとも自分できめますか。
(イ)自分できめる。
(ロ)デザイナーにまかせる。
「(略)おれたちが、いまやろうとしているのは、いたずらではなくて、高倉健、いやちがった、冒険だ」
「これが冒険かなァ――」
目黒は信じられない顔つきである。
「目黒、なんだい、そのギワクのメザシ、ちがったマナザシは――未知に対する挑戦はすべて冒険なんだ」
「だって、はっきりいうけど、おふたりともあたしの趣味じゃないんですもの」
「なあに、シミーズ?」
「南、なんだ? このいたずらを中止するとでもいうのか」
「ばか、中止もビタミンシーもない。途中でやめるくらいだったら、おれは最初からやらない」
「わたし、お茶は色が黒くなるからのみません」
「するとインド人はお茶ののみすぎかなァ。でもインド人だから、カレーのたべすぎで黄色になるのがほんとうかもしれないなあ」
「梶、それならまかしておけ、うちのママはひとにすすめるのは天下一品だ。うちのまわりはママにすすめられて、みんな十日学会にはいっている」
「へェー、お化けの入院か――そのお化けが交通事故にあったときは<キュー>と叫んだんじゃないかなァ」
「えッ――」
「つまり、オバキュー」
「あたしが大きくなったら、オムコさんをもらって、この家をつぐわよ」
と千冬は悲痛な気持ちで申し出たつもりだった。
ところが、彼女の顔をながめたおとうさんは無言で頭を振り、おかあさんにいたっては、姉の千秋よりももっと大きなタメ息をもらしたきりだった。
まだ、カガミと相談したことのない千冬は、ぷっと口をとがらせたが、彼女のケナゲな心根はついにみとめてもらえなかった。
「自分だけくうと、チュウするとき、ニンニクくさいからな」
「チュウって、なによ」
千冬の初歩的な質問に、彼はニヤリとした。
「またの名をセップンともいうな」
「わ、いやらしい」
・最後に楽しんだのは76歳のときよ
・フランク・シナトラさんには迫られたの
・初めてエクスタシーを教えてくれたのは外国人だったの
・サイズの大小も相性次第ね
・外国旅行中、檀一雄さんとのラブ・アフェアを噂されたの
・夫の浮気に気づかなかったわ
・そのとき、実は私も浮気中だったの
・ボーイフレンドとベッドイン中に、先生が……(※この先生とは菊池寛のこと)
私の最後の情事のお相手は、30歳前後くらいだったかしら。仕事を通じて知り合った音楽関係の男の子ね。(中略)それで、こちらから仕掛けてみたの。まずレコードを替えるときに、そっと相手の肩に手をかけて、向こうは別に気づかない感じでそのまま動かないから、今度は私が耳にキスしたの。スーッと側に寄って、耳の先っぽにチュッと軽くね。
でもこの思いをすんなり切らせたのは、私の経験からきたようなの。つまり外国人は日本人のフィジカル(肉体)と違って、あのイチモツの大小が激しいのよね。もしシナトラさんのイチモツが特大サイズだったりしたら、それに慣れていない私の肉体へのダメージはかなり大きいかも……。
かんじんな彼のイチモツとの感触はハスッパな言葉で失礼ながら形容すると、 まさに“太平洋でゴボウを洗う”テナ感じ。
檀さんは原稿にゆきづまると、男性のシンボルのアソコを女性に握っててもらわないと書けないという奇妙なクセがあるのね。
「握ってもらうだけで落ち着くんだ」
そう言うの。だから私、ホテルの檀さんの部屋に行っては握っててあげたの。(中略)こうして私は檀さんが小説を書くための陰の「お手伝い」をしながら、ニューヨーク、ロンドン、パリを旅したの。そして檀さんの原稿が進むから、ヤキモキしていた新聞社の人にはずいぶん感謝されたわ。
親しい美女の塩沢ときさんは、
「実は私もずっと自分が不感症じゃないかって秘かに悩んでいたの。38歳まではどんな人と寝ても全然よくなかったの。ところがある日、アレッ! って感じたの。それからはもう、とにかくその人に抱いてほしいっていう気持ちが激しくて。まさにお女郎さんの心境ね。そうしたら、それまでは恥ずかしいくらいペシャンコだったおっぱいが、急にムクムク大きくなってきたのよ(以下略)」
という話も聞かせてくれました。
映画を見る私の場合、批評しないといけないからといって斜に構えて見たり、細かいところまで見ないといけないとか、難しいことを引き出さないといけないとか考えて見るのではなくて、スッと素直に映画の中に入っていくの。自分の生涯の残り少ない時間をできるだけエンジョイしたいと思うから、私は映画を構えて見たことなんかないのよね。
(映画の)キスシーンなんかでヒーローの顔がヒロインに近づいてくると、無意識のうちにソッと瞼を閉じて、くちびるをひそかに開いて受け入れ体勢をとっていることもあるみたい。