少し前に、終戦の年の日記をいくつか読んだ。今日8月15日は終戦記念日なのでその話をさせてください。取り上げるのは、山田風太郎『戦中派不戦日記』、高見順『敗戦日記』、内田百痢愿豕焼盡』の3冊です。いくつかと言いつつ3冊だけなのはお恥ずかしい……もっと読むつもりだったけど日記ばかりで飽きちゃったんで……。この3人は従軍せずに民間人として昭和20年を過ごしています(高見順だけ過去に陸軍報道班員として徴用され、ビルマと中国に派遣された経験あり)。

 

 

山田風太郎『戦中派不戦日記』(講談社文庫)

 

 当時23歳、住んでいるのは東京都目黒の下宿。作家になる前、医学生だった昭和20年の元旦から大晦日までの日記。両親を早くに亡くし、高校受験に失敗して工場で働き、22歳になってから医大に入ったという境遇から屈折したのか、シニカルで思慮深くてリアリストな若者です。いっぽうで日本は勝つまで闘うべきだと考えるバリバリの軍国青年で、現代人としてはそのギャップに少々戸惑う部分もある。多感な年ごろに時代の大きな転換期を迎え、考えたり見聞きしたことを克明に饒舌に記した日記は、読みものとしてとても面白い。軍国青年ぶりにはけっこう引いてしまうし、ときおり出てくる女性蔑視的な考えにはうんざりさせられるけれど。

 

 日記は以下の一文からはじまる。

 

○運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ。(1月1日)

 

 勇ましいですね。そしてラストの一文はこう。

 

○運命の年暮るる。
 日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず。(12月31日)

 

 この鮮やかなコントラストのなかに、文庫で3センチ近い分量で書かれた昭和20年という1年が詰まっている。

 

「かの憎むべきB公が……」などといいて笑わしむ。高輪の親父はB29のことをポー助と呼ぶ。このあいだ来訪せる某婦人はその子に「さあさ、早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」といえり。(1月6日)

 

 日記を読んでいるとほぼ毎日のように空襲警報が鳴り、B29が空を飛んでいる。B公、ポー助、プーちゃん。すっかり空襲が日常と化してしまったなかでのB29ジョーク。

 

○本日、エイプリル・フール。(中略)夜、外に出て、扉をドンドンたたき、「高須さん、電報ですよ!」と叫びたてるに、便所にありし高須さん蒼くなって飛び出し来る。召集かと思いたり、三年いのちが縮んだりとて大いに怒る。(4月1日)

 

 高須さんは工場で働いていたころの上司で、現在の下宿の主人。恩人に対して最悪な冗談です。

 

 昭和20年のできごとというと、東京大空襲、ヒトラーの死とドイツの敗戦、沖縄の玉砕、広島長崎への原爆投下、ソ連の宣戦、そして敗戦……あたりだろうか。全部取り上げると長くなりすぎるので、8月15日を3人それぞれどう記したのか比較したいと思う。連日長文の日記を書いていた山田青年の8月15日の日記はたった一行だけ。

 

○帝国ツイニ敵ニ屈ス。(8月15日)

 

 ちなみにこの前日、14日の日記はものすごーく長い。ごく一部を抜粋。

 

 アメリカが日本人を十万人殺せば、日本はアメリカ人を十万人殺す。そうすれば日本は必ず勝つ。そうであったら、たとえこの爆弾で百万人の日本人の首が宙天へ飛ぼうと、その百万の首はことごとく満足の死微笑を浮かべているであろう。(中略)日本人はもう三年辛抱すればいいのだ。もう三十六ヵ月、もう一千日ばかり殺し合いに耐えればいいのだ。(8月14日)

 

「満足の死微笑」という言葉のインパクト……。このあとは、自分たちだけでも組織をつくって徹底抗戦しようと友人たちと熱に浮かされたように徹夜で議論した描写が続く。「ザ・青春!」の語り合いからの〜無条件降伏。さんざん燃え上がった気持ちのやり場のなさよ……。16日の日記もすごく長い。行数は数えていないけど1年間でいちばん長いんじゃないかな。15日になにが起こったのか、そしてどう思ったのかを深い怒りと悲しみを込めて綴っている。

 降伏への強い反発は、夏が終わり秋が来て冬へと季節が移るにつれ薄らいでいく。米兵に媚びる人びとの軽薄さや、一転して軍国主義を叩く言論人の変わり身の早さを憎みながら、物心ついたころから自分が信じ続けていたものが完全に否定されるという状況の苦い味を咀嚼していく。

 

 

高見順『敗戦日記』(中公文庫)


 当時38歳。住まいは鎌倉。川端康成や大仏次郎や里見など鎌倉文士のコミュニティに属しており、文士仲間と蔵書を持ち寄って「鎌倉文庫」という貸本屋をオープンさせるようすも書かれている。文学報国会という文学者による国策推進のための組織にも参加していて、会の集まりに出席するためによく上京して浅草などを散策して友人と呑んでいる。

 若い山田風太郎の熱さに比べると、戦争に対して距離を置いていて冷ややか。だからといって反発するようすもなく、後年の人間としては「結局迎合してるじゃーん」と歯がゆさを感じたりもする。

 

(この日記とは関係がありませんが、プロレスラーで衆議院議員の馳浩の奥さんであるタレントの高見恭子は、高見順と愛人とのあいだに生まれた子です。っていまの20代は知ってるんだろうか、高見恭子。わたしは小学生のころ、将来は高見恭子みたいな毛先にパーマをかけたロングヘアにしたいと思っていたよ……。いちどもしたことないし今度もする予定はいっさいないけれど。高見順自身が私生児でつらい子供時代を送ったのに、自分も私生児を生ませるという、因果はまわる状態)
 

 二十二、三から十三、四の年のものは、絶対に日本は勝つ、勝たさねばならないという固い信念を持っているねと香西君(※文藝春秋の社員)は言った。(三月八日)

 

 まさしく前述の山田風太郎はこの世代で、勝利への意識は世代間ギャップが大きかったことがわかる。日本が軍国主義一色になる前の時代を知っている世代と、知らない世代。

 

「お掘んなさい」
 と川端さん(※川端康成です)がすすめる。川端さんはその鎚とのみで裏に自分で防空用の横穴を掘った。
「力がいりやしないかしら」
「力なんか、ちっともいりませんよ。ひとりでコツコツやっていると、何んにも考えないで、いい気持ちですよ」(4月15日)

 

 川端康成というと小柄でひょろひょろで力なんてぜんぜんなさそうなイメージだが、ひとりで防空壕を掘ったとは。

 

 爆弾除けとして、東京では、らっきょうが流行っている。朝、らっきょうだけで(他のものを食ってはいけない)飯を食うと、爆弾が当らない。さらに、それを実行したら、知り合いにまた教えてやらないとききめが無い。いつか流行った「幸福の手紙」に似た迷信だ。(4月24日)

 

 チェーンメールがそんなにむかしからあることに驚愕。チェーンメールの歴史も気になってきた。

 

 つぎは終戦の前日、8月14日の日記。

 

 駅に向う途中、高島君(西日本新聞社の記者)の友人らしいのが、
「十一時発表だ」
 と言った。四国共同宣言の承諾の発表! 戦争終結の発表!
「ふーん」
 みな、ふーんというだけであった。溜息をつくだけであった。(8月14日)

 

 国民は寝耳に水で降伏を伝えられたというイメージがあるけれど、高見順は前日にフライングで降伏を知っていた(時間は間違ってるけれど)。それに対しての反応の乏しさ。戦争末期にはみんな疲弊しきってすさんで麻痺していたことがよくわかる。翌日、8月15日の日記。
 

 十二時、時報。
 君ガ代奏楽。
 詔書の御朗読。
 やはり戦争終結であった。
 君ガ代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。
 ――ついに敗けたのだ。戦いに破れたのだ。

 (中略)
 軍曹は隣りの男と、しきりに話している。
「何かある、きっと何かある」と軍曹は拳を固める。
「休戦のような声をして、敵を水際までひきつけておいて、そうしてガンと叩くのかもしれない。きっとそうだ」
 私はひそかに、溜息をついた。このままで矛をおさめ、これでもう敗けるということは兵隊にとっては、気持のおさまらないことには違いない。このままで武装解除されるということは、たまらないことに違いない。その気持はわかるが、敵をだまして……という考え方はなんということだろう。さらにここで冷静を失って事を構えたら、日本はもうほんとうに滅亡する。植民地にされてしまう。そこのところがわからないのだろうか。
 敵をだまして……こういう考え方は、しかし、思えば日本の作戦に共通のことだった。この一人の下士官の無智陋劣という問題ではない。こういう無智な下士官にまで滲透しているひとつの考え方、そういうことが考えられる。すべてだまし合いだ。政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます、等々。(8月15日)

 

 戦時中は感情を抑えた冷静な記述が多い高見順だが、敗戦以降は苛立ちを隠せない荒っぽい書きぶりが増えてくる。

 

 軍隊のこの個人主義。癇が立つ。水兵が汚いのも、癇にさわる。まるで敗残兵だ。連合国の兵隊はもう上がっている。この汚い日本の兵隊を見たらどう思うだろう。口惜しい。癇が立つ。頭上を低空で占領軍の飛行機が飛び廻っている。癇が立つ。ポカンと口をあけて見上げているのがいる。バカ! なんでもかんでもシャクにさわった。神経がささくれている。(8月28日)

 

「バカ!」の身も蓋もなさ……。以降、米兵に「ハロー、滋賀劣等(シガレットの発音が悪くてこう聞こえる)」と話しかけて煙草をもらおうとしている闇屋を見かけて腹を立て、電車内でこれ見よがしに『ライフ』を広げて読んでいる中年の紳士を見かけて腹を立て、新しい煙草の名前が「ピース(平和)」なんてあさましいと腹を立てている。

 高見順は学生時代、左翼系同人雑誌に参加してプロレタリア文学に取り組んでいた。しかし治安維持法違反で検挙されて転向し、戦時中は政府にすり寄って文学報国会にも参加し、だけど敗戦で軍国主義は滅び民主主義がやってきて……と時代に翻弄されて何度も価値観の転換を余儀なくされた人生だった。老いてから振り返って苦々しく思うことも多かっただろうなと思う。

 

 

内田百痢愿豕焼盡』(中公文庫)

 

 焼盡はしょうじん、と読みます。前のふたりの日記とは違い、昭和19年11月から20年8月21日までの日記なので、戦後の記述はほとんどなし。住まいは東京都麹町。当時56歳。召集に怯えなくていい年齢だ。この時期は執筆活動をしているようすはなく、日本郵船の嘱託社員をやっている。昼過ぎ出社で水曜と土日が休み、社内に自分の部屋を与えられているという夢のような待遇!

 

 高見順の日記は戦争とのあいだに薄い膜を感じたが、百里瞭記はさらに壁の向こうのできごとという感じがする。戦局に対する意見や日本はこうあるべきみたいな話はほとんど出てこず、こまごまとした生活の記録が大半を占めている。日常描写、それも食べものやお酒が足りなかったり入手できたり、といった記述が多い。

 戦争に熱狂した人びとがいたいっぽうで無関心なひとも多く存在して、その両方があのようなかたちへと日本を動かす要因になってしまったんだろうなあ……と思う。乃木将軍の顔の切手を嫌って景色のイラストの切手を買いだめしたり、文学報国会を「文士が政治の残肴に鼻をすりつけて嗅ぎ廻つてゐる様な団体」とこき下ろしたり(百里亙験慂鷙餡颪瞭会を拒んだ数少ない作家)、といった厭戦気分はあるんだけど。

 

 朝の御飯にお米が足りなくて心細き限りなり。お粥にマカロニの残りを混ぜたものを食ふ。(2月21日)

 この頃では味噌はバタやチーズに匹敵する。子供の時、味噌をおかずにすると七代貧乏すると教へられたが、今が丁度七代目なのであらう。(6月19日)

 この頃の胡瓜は昔に食べた林檎バナナ水蜜桃葡萄等の水菓子から一切の野菜類は更なり清涼飲料の炭酸水ジンジヤーエールやアイスクリームシヤベエ迄も含めた食べ物になつている。(8月16日)

 

 穀物や根菜でご飯をかさ増しした話はよく聞くが、マカロニは初耳! 味噌がバターやチーズみたいだというのはわからなくもない。きゅうりはこんなに褒められたらきゅうり冥利に尽きるだろう。ほかに、家のなかに迷い込んできた雀を捕まえ、焼いて食べようと思ったものの、悩んで泣き出しそうな気持ちになり、結局雀を逃がすという描写もある(2月26日の日記)。雀を逃がしたのは、百里肋鳥が好きでこのころもいろいろ飼っていたからかもしれない。

 

 目白、駒、鶸(ひわ)の世話をしたり、ヒヤシンス、サフランの鉢を日向に出したり、菜園に水をやつたりして長閑な気持ちでゐると、午過十二時二十分警戒警報鳴る。(3月28日)

 

 この鳥たちも、籠に入れて持ち出した目白以外は5月25日の空襲で家ごと燃えてしまう。いったんは籠に入れて持って行こうと思ったけれど結局そのままにされた不憫な駒と鶸、目白との格差を感じる鳥ヒエラルキー……。

 

 百里郎2鷦茲蠑紊欧3人のなかで唯一、最後まで東京にいた人物である(山田風太郎は空襲で下宿や大学が焼けて大学ごと長野に疎開し、高見順はずっと鎌倉にいた)。空襲で焼け出されたあとは、近所に住むバロン松木(プロレスラーかお笑い芸人みたいな名前ですが松木男爵ってことです)の豪邸の敷地内にある粗末な小屋で暮らしていた。敗戦の前日である8月14日、近所で火事騒ぎが起こる。

 

 家内が出て見て市ヶ谷本村町のもとの士官学校跡の大本営のうしろの方に火の手が上がつてゐると云つた。(中略)普通の火事はこの頃珍らしく、太平の趣がある。(中略)消防自動車が門の前でぶうぶう鳴らしても開けないし、門番もゐるのだが案外平気な顔をしてゐたと云つた。その話を聞いて何か焼き捨ててゐるのではないかとも思はれた。(8月14日)

 

 市ヶ谷の軍部が降伏の前にあわてて資料を焼く場面、映画『日本のいちばん長い日』などでもお馴染みだが、火事だと思われるほど派手に燃やしていて、しかも資料を焼いているのだろうと民間人にバレていることに少し驚いた。
 そして8月15日。

 

 昨夜より今日正午重大放送ありとの予告あり。今朝の放送は天皇陛下が詔書を放送せられると予告した。誠に破天荒の事なり。(中略)正午少し前、上衣を羽織り家内と初めて母屋の二階に上がりてラヂオの前に座る。天皇陛下の御声は録音であつたが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まず。どう云ふ涙かと云うことを自分で考へる事が出来ない。(8月15日)

 

 ……以上、3冊をちょちょことかいつまんで紹介してみましたが、ごく一部だけなので、気になったかたは読んでみてください。とくに3月10日未明の東京大空襲の描写とか、その後の焼け跡の人びとのようすだとか、戦後の駅にいる浮浪児たちとか。市井の人びとはどんな暮らしをしていたのか、もしこういうことがまた起こったらどう関わればいいんだろうと考えたりだとか。

 

 最後に高見順の日記より。

 

 午後、仕事にかかる。
 ヒロポンをのんで徹夜。(8月2日)

 前回、ストリップ鑑賞の話を書きましたが、それからさらに何度か通って「もっと語らせて!」という気分になったので、私の好きな踊り子さんについて羅列させてください。まだ10回にも満たない初心者なので、もっと観るとまた変わってくると思いますが、現時点でってことで。私がストリップに通うために札幌と東京をつなぐ地下トンネルを掘ってほしい……。オリンピックの代わりに地下トンネルを……。

 

 真白希実さん

 ダイナミックさと細やかさ、色っぽさを兼ね揃えたステージは完成度が高くて見応えがあります。手足を大きく使ったダンスはとても伸びやか。はじめて観たのはカラフルに光る電飾入りドレスを着た演目で、それまでポラの列に並んだことはなかったけれど、ステージを観てぽーっとしたまま勢いで並び、初ポラをキメました。先日は浅草ロック座でステージへの花の差し入れもやってみましたが、タイミングがずれたらステージをぶち壊しかねないので緊張したよね……。
 人気・実力ともに現在トップクラスの踊り子さんなので、トリをつとめることが多いです。今月10日までは浅草ロック座でフラメンコを踊っています。

 

 小野寺梨紗さん

 なんと歌う踊り子さんです! ヘッドマイクをつけてステージ上で踊りながら歌ったり、ハンドマイクを持って客席をまわったり、歌謡ショー状態。ストリップで歌うことに対しては好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私としてはお得感がすごくある。演歌も洋楽もとても上手です。日本舞踊をやっていたそうで、ダンスは動作がやわらかい感じ。
 ルックスはめちゃくちゃかわいいです! 全身かわいくて妖精みたい! 儚げでどこかあやうい雰囲気で、腕の上部にアームカットのあとがいくつもあって、私が男だったら「おれが彼女を救う!」とガチ恋ファンになっていたであろう。どういう人生を歩んできたのかはわからないけれど、しあわせになってほしい。いや、踊り子さんにはみんなしあわせになってほしいけど、この子はすごくほっとけない感じがあって心配で……。
 今月10日まで川崎ロック座に出ています(余談ですが浅草以外の劇場は10日ごとに出演者が変わります。8月頭・8月中・8月結というように)。いまの時期の川崎は冷房が効きすぎているので、羽織るものを持って行くことをオススメします。

 

 みおり舞さん
 ローザンヌ出場経験のある本格派バレーダンサーです。前も書いたけれど3月に新宿ニューアートで観た「ボレロ」! 詳しくは前回のを読んでください。8月末までは浅草ロック座でインド舞踊を踊っています。

 

 浅葱アゲハさん
 空中ショーで有名な踊り子さん。エアリアルといって、天井から吊り下げられた布をからだに巻きつけて、くるくるまわりながら空中で舞ったりします。シルク・ド・ソレイユでお馴染みのやつですね。この空中ショー、観ていると多幸感で脳にへんな汁がどばどば出ます。
 空中以外のダンスや衣裳もオリジナルな世界観があって唯一無二の存在。そして腹筋バッキバキです。女の筋肉、好き……。

 

 武藤つぐみさん
 ショートヘアに、筋肉質で小柄で全身バネのような肉体。はじめて観たときは仮面をつけていて顔が隠れていたので、「えっ、男の子!?」と一瞬思ってしまったほど少年的。軟体で背筋がとても強く、立って頭を後ろに反らす上体反らしが見事です。
 8月末までは浅草ロック座で、トルコの宗教的舞踏のセマーを題材としたひたすらぐるぐるとまわる神秘的な演目を踊っています。(個人的な話になるけど、私は以前トルコ旅行をしたときにこのセマーの寺院をおとずれ、ヒジャブをかぶって「愛」という文字のネックレスをしたトルコのティーン女子に「日本のアニメが好き」と話しかけられた経験が。英語力もアニメ知識もないため、ろくに会話ができなくて申し訳なかった思い出……)

 

 アキラさん
 かろやかで弾むような、運動量の多いダンスが魅力的。はじめて観たときはアカデミー賞を取った某ミュージカル映画の曲(ストリップにはネット上に曲名を書かないというお約束があるので遠回しな表現ですみません)に合わせてバレエ風のダンスを踊っていて、とてもよかった。
 動きまくるせいかかなりの汗かきさんで、ベットショーのころには背に川のように、それも一級河川の利根川のように汗が流れており、ポーズを決めるごとに空中にしぶきが舞います。オープンショーではタオルを持って汗で濡れた床を拭きながら開脚しています。つぎの踊り子さんが滑って転んだらたいへんだからですね。今月10日まではシアター上野に出ています(この劇場はまだ行ったことがないけれど)。

 

 清水愛さん
「あい」ではなく「まな」と読みます。同じ字で読みが違う声優さんがいるようですが別人です。小柄で骨格が華奢ですが、ダンスはキレがあってパワフル。とくにヒップホップは観ていて小気味良い。某「拾ったノートに人名を書くとそのひとが死ぬ漫画」をモチーフにした演目があるのですが、ツインテールのヒロインのコスプレがとても似合っていました(まどろっこしい文で申し訳ない)。
 細い上半身に反して、ふとももはアスリートのようにがっちりしていて格好いい。腹筋も超かたそう。今月10日までは広島の劇場に出ています。

 

 ほかにも素敵な踊り子さんはいっぱいいるのですが、ひたすら羅列するよりは実際に観たほうがいいと思うのでこのへんで。今年は日本のストリップ70周年の記念の年だしね。それに同じ踊り子さんでも、演目によって印象ががらりと変わります。初見ではいまいちだと思っていてもほかの演目で圧倒されたり、その逆もあったり。いつどこの劇場にだれが出演するのか? というのはこういうサイトで調べられます。

 私はどちらかというと引き締まっていてダンスの巧い踊り子さんや、一芸を持ってる踊り子さんが好きなのですが、どこに魅力を感じるかはひとそれぞれ。芸歴20年オーバーの踊り子さんも珍しくないのがストリップの世界、ベテラン勢の魅せかたを心得た円熟味のあるパフォーマンスや、加齢と自己鍛錬のあいだで揺れる肉体もうつくしいものです。

 

 文字ばかりなので最後に写真を。川崎ロック座。(出演者一覧のポスターと車のナンバーはいちおうぼかしを入れています)

 

 

川崎ロック座

 

 この写真では見えませんが、店先に2匹のでっかい亀(クサガメ?)がいます。なんで?

 今年の1月から4月にかけて、新刊(『凜』講談社より発売中です! よろしくお願いします!)のインタビューを受けたりするため、月1回ペースで上京していた。で、上京中の空いている時間、なにをしていたかというとストリップ鑑賞です。浅草ロック座に2回、新宿ニューアートに1回、池袋ミカド劇場に1回行った。

「ストリップを観る」ということに対して、性的な搾取に荷担しているのでは……と後ろめたさも感じているのだが、でも好きなので語りたい。語らせてください。

 それにしても、女性が他人の女性器をじかに見ることはあまりないのではないか。男性ならトイレで横をぬっと覗き込めば、かんたんに同性の性器を見ることができる(「いや、覗き込んだりしないよ!」とこれを読んでいる男性陣は突っ込みたくなるかもしれないけど)。私はスーパー銭湯やサウナが好きで、そういった場ではみな裸になっているにもかかわらず、「ひとの局部がばっちり見えてしまった!」という経験をしたことがない(べつに見たいわけではないです)。引っ込んでいる形状のせいというのも多分にあるだろうけど、すごく妙なことのように感じる。

 

 話がずれてしまった。はじめてストリップを観たときは、「女神……!」という凡庸にもほどがある感想が浮かんで自分の発想の貧しさに若干落ち込んだが、初見でこの言葉を思い浮かべないひとはいないと思う。

 ストリップの流れをかんたんに説明すると、まず、本舞台で着衣で2曲ほど踊る。それから舞台上で、あるいはいったん袖に引っ込んで、脱ぎやすい薄物やセクシーなランジェリーすがたになり、細長く伸びた花道を踊りながら進んで盆と呼ばれる回転する円形のステージ(中華料理店の円卓を大きくしたものを想像してください)に辿り着く。この盆でおこなわれるのがメインであるベットショー(ベッドではなくベットが正しいらしい。外来語が下手な時代についた名称なんだろうか?)だ。ストリップと言われてたいていのひとが思い浮かべる、裸でライトアップされながら踊るショーです。

 正直、本舞台での着衣のダンスは、踊り子さんや演目によって惹きつけられたりいまいちだったり……とばらつきがあるが、盆に寝そべったとたん、どんな踊り子さんも例外なくひとりひとりがほんとうに特別な輝きを放つのだ。ピンクや青の照明を浴びた汗ばんだ肌は独特の光沢を放ち、なまめかしいのにつくりものめいた不思議な質感で、ポーズを決めて静止するすがたは生きている彫刻のようだ。

 私がはじめてストリップを観たのは浅草ロック座で、ここではベットショーが終わってはける直前のほんの一瞬、踊り子さんに花束を渡すことができる。笑顔のおじさんが跪いて女神に花束を捧げるすがたはすごくよかった。


 現在の日本のストリップ劇場は大まかにポラ館とそれ以外に分かれる。ポラ館とはポラロイド撮影のできる劇場で、いったん舞台袖にはけた踊り子さんが衣裳チェンジして出てきて、有料でポラロイド撮影ができる、お客さんとの交流タイムがある。差し入れを渡したり喋ったり、要するにアイドルの握手会みたいなものだ。撮影は着衣と全裸の好きなほうを選べて、ポーズも指定できる。
 女神がしもじもの者の指示に従ってポーズを取って写真を撮られ、会話を交わすなんて……とはじめてポラタイムに遭遇したときはかなり複雑な気持ちになってしまった。ポラが終わったあとは再度衣裳チェンジしてアップテンポの明るい曲とともに登場し、オープンショーがおこなわれる。指で局部を広げたりと笑顔でけっこう露骨なことをするショーです。正直私はポラタイムとオープンショーには馴染めないものを感じるし、踊り子さんの負担的にどうなんだろうって思うけど、劇場の収入や集客を支えている面もあるのだろう。

 私にとっての初ポラ館はゴールデン街の入口のすぐ近くにある新宿ニューアートだった。おっさんパラダイスな空間で、女性ひとり客には正直けっこう居心地が悪く、はじめてのストリップがここだったら印象がかなり異なったのではと思う。とはいえ、女性客だからといって不快な思いをさせられることはめったにない……はず。
 池袋ミカド劇場はさらに場末感のある空間で、圧倒的に狭く、盆は回転しない。盆というよりも短い花道って感じ。正直キツいなと場内に入ったときはぎょっとしたものの、お客さんのあいだにアットホームな雰囲気があり、席を譲ってもらったり気さくな男性客に「ボクのつくった踊り子さんランキング」的なペーパーをもらったりと、慣れれば過ごしやすかった。私はここではじめて「リボンさん」を見た。踊り子さんの決めポーズに合わせて紙テープを客席の端から飛ばす職人芸的な応援をするお客さんたちのことです。ほかにも「タンバさん」というタンバリンを叩いて応援するひとたちもいる。
 でもまあ、女性の初鑑賞なら非ポラ館である浅草ロック座をオススメします。バックダンサーもいてショーアップされていてあまり露骨じゃないし、劇場に清潔感があって映画館みたいな座席だし、女性客がそこそこいるし。あと、どこの劇場もたいてい女性割引をやっています。

 

浅草ロック座

 

新宿ニューアート

 

池袋ミカド劇場

 それぞれの場内図。うろおぼえなので間違っている可能性大。

 

 私のイチオシの踊り子さんはみおり舞さん。元バレエダンサーでローザンヌに出場経験があるそうです。はじめは浅草ロック座で観て、ベットショーでの見事なI字バランスや足指の使いかた(足の指で器用にリボンをつまんでポーズを取っていてその指の動きがとても色っぽかった)などに感銘を受けたが、そのときはそんなに強い衝撃はなかった。だけど、その後新宿ニューアートでラヴェルの「ボレロ」に合わせて全裸でバレエを踊る演目を観て、彼女のことが大好きになってしまった。

 通常はダンスショーとベットショーを3〜4曲使って踊るところを、「ボレロ」1曲で踊り通す潔い演目だった。前述のとおり、普通は着衣で登場して本舞台で踊るのだが、彼女は全裸にアクセサリーだけを身につけて盆に横たわった状態からスタートした。踊りはじめたとたん、場内の空気が変わるのがわかった。ゴールデン街のすぐ脇にある地下のストリップ劇場にいるという認識がだんだん薄れていき、古代ローマの野外劇場で神に捧げる踊りを観ているんじゃないだろうかと思ったぐらい、神々しかった。

 もういちど観たくてつぎの回も観たのだが(入れ替え制ではないのでいちど入場したらその日は何公演でも観ることができます。受付に券をもらえば再入場も可)、今度はミュージカル調の違う演目だった。ダンスなのではっきりとしたストーリーはわからないけど、田舎から出てきた少女がダンサーを目指し……みたいな話だったように思う。こっちも踊ることの喜びに満ちていて、観ているうちに涙がこみ上げてきた。

 ほかにも好きな踊り子さんや見たいと思っているのになかなかタイミングが合わない踊り子さんがいるけれど、その話はまたの機会にでも。

 

 全国のストリップ劇場は着々とすがたを消しつつあり、私の住んでいる札幌も数年前になくなった。今後空前のストリップブームが起こり、子どもの将来の夢第1位がストリッパーになったり女性誌で「ストリップダンサーに学ぶモテテク!」などの特集が組まれたりEテレで「趣味のストリップ鑑賞」という番組がはじまったりする日がやってくる可能性もゼロではないが、やっぱり消えゆく芸能なんだと思う。踊り子さんも永遠に踊り続けるわけではなくみなさんいつか引退するので、興味があるかたは、いちどぜひ。