おてんば一年生 表紙
 先日、近所の古本屋で超ファニーなカバーの文庫をゲットした。レーベルは秋元文庫。帰ってから調べたところ、秋元文庫はいまで言うライトノベルの走りのようなものだったらしい。これはそのなかでもコメディタッチの学園モノをラインナップした、「ファニーシリーズ」のなかの一冊だ。初版は昭和49年。思ったほど古くない。

おてんば一年生 本文1
 本文ページにも挿絵が。右下にいるイヤミな取引先の課長みたいな顔をした人物は、おっさんではなく主人公の友人・初江である。後ろの子も宇宙人っぽくて怖い。

 さて、かんじんの内容だが、残念ながらイラストほどネタ的なつっこみどころはない。『おてんば一年生』こと主人公の藤倉千冬は高校一年生。三姉妹の末っ子で、となりに住む本間家の三兄弟のまんなかの次郎とクラスメイトだ。花嫁修業中でお見合いをしている三姉妹の次女・千秋と、三兄弟の長男・太郎との恋を軸に、話は進んでいく。
 で、主人公の千冬だが、「おてんば」という軽い言葉で表現していいレベルじゃないんでは……? と不安になるほど精神年齢が低い。三兄弟の末っ子である八歳の三郎といつも本気で悪戯を仕掛けあっている。
おてんば一年生 本文2
 けっこう発育が良さそうなのに、小学生の水鉄砲に本気で怒る千冬。サービスカット?

おてんば一年生 本文3
 姉のお見合い相手が気に入らないので、手品をすると嘘を言って彼の仕立てたばかりのズボンをはさみで切ってしまう傍若無人っぷり。ひどすぎる。

「あたしが大きくなったら、オムコさんをもらって、この家をつぐわよ」
 と千冬は悲痛な気持ちで申し出たつもりだった。
 ところが、彼女の顔をながめたおとうさんは無言で頭を振り、おかあさんにいたっては、姉の千秋よりももっと大きなタメ息をもらしたきりだった。
 まだ、カガミと相談したことのない千冬は、ぷっと口をとがらせたが、彼女のケナゲな心根はついにみとめてもらえなかった。

 高校生なのに「まだ、カガミと相談したことのない」という無邪気さに驚く。極めつきは以下に引用する餃子屋での会話だ。

「自分だけくうと、チュウするとき、ニンニクくさいからな」
「チュウって、なによ」
 千冬の初歩的な質問に、彼はニヤリとした。
「またの名をセップンともいうな」
「わ、いやらしい」

 チュウを知らない女子高生! もしかすると昭和49年にはまだ一般的な言葉じゃなかったのだろうか、と思い、 Wikipediaの「接吻」のページを見ると、「接吻の擬態語としては江戸時代に既に『ちうちう』という表現を見ることができる」と書かれている。へー。でも千冬は知らない。ここまで来るとウブを通り越してなんだか怖い。

 後半に出てくる体育会の場面でも、千冬の過剰なおぼこさを確認できる。これがまた、父兄が観戦にやってきて昼は校庭で家族揃ってお弁当を食べる、小学校の運動会みたいな体育会なのだ。千冬だけでなく学校行事まで幼い。昭和49年ごろはこれが普通だったんでしょうか?
おてんば一年生 本文4
 三郎がショートパンツの後ろに切れ目を入れるという悪戯を仕込んだため、「アベック競争」なる競技の最中にショートパンツが落ちてしまう。露出してしまったパンツは色が白っぽいのでブルマではないだろう。当時ブルマはアウターウェアだったから、そのうえにわざわざショートパンツを穿かないだろうし。つまり、全校生徒と父兄の前で下着を晒してしまうという、ジャンプに載ってるちょっとエッチなマンガに出てきそうなエロハプニングなのだ。普通なら羞恥でいたたまれなくなるはずだが、千冬は三郎に対して腹を立てるものの、下着を露出したことにはそれほど羞じらっていない。(写真の右上に写り込んでいるのは猫です)

 こんなに精神年齢に難がある千冬だが、次郎が自分に気があるということを知り、恋のはじまりを予感させて物語は終わる。
おてんば一年生 表4
 裏はこんな感じ。三郎が持っている謎のふわふわは、カマキリの卵ではなく綿飴です。

 数ヶ月前、実家を取り壊すために荷物を整理していたら、小森和子『愛と性』という本が出てきた。むかし古本屋で買ったのだ。1991年刊行のこの本は、いまは亡き小森のおばちゃまこと小森和子さんが82歳のときに出した、自伝的恋愛エッセイである。「小森のおばちゃま? だれそれ?」とお思いの平成生まれは無視して、今日はこの本を紹介したい。

『愛と性』目次
 目次を見ているだけでも刺激的だ。小見出しの一部をご紹介。

・最後に楽しんだのは76歳のときよ
・フランク・シナトラさんには迫られたの
・初めてエクスタシーを教えてくれたのは外国人だったの
・サイズの大小も相性次第ね
・外国旅行中、檀一雄さんとのラブ・アフェアを噂されたの
・夫の浮気に気づかなかったわ
・そのとき、実は私も浮気中だったの
・ボーイフレンドとベッドイン中に、先生が……(※この先生とは菊池寛のこと)

 いまここを読んでいるひとは、「最後に楽しんだのは76歳のときよ」が気になって瞳孔が全開になっていることと思われるので、該当箇所を抜粋したい。

 私の最後の情事のお相手は、30歳前後くらいだったかしら。仕事を通じて知り合った音楽関係の男の子ね。(中略)それで、こちらから仕掛けてみたの。まずレコードを替えるときに、そっと相手の肩に手をかけて、向こうは別に気づかない感じでそのまま動かないから、今度は私が耳にキスしたの。スーッと側に寄って、耳の先っぽにチュッと軽くね。

 このあと、そのまま愛を交わしたらしい。「30歳前後の音楽関係の男の子」もいまは初老になっているはずで、順調に仕事を続けていればそこそこ偉い立場になっている可能性が高い。「音楽業界の偉いひと」がメディアに出ていると「このひとが76歳の小森のおばちゃまと……!?」と考えてしまうようになった。このひとは一般人なのでもちろん名前などは出てこないが、著名人との性的エピソードは実名でわんさか書かれており、「プライバシー? なにそれ?」状態だ。「フランク・シナトラさんには迫られたの」から一部抜粋する。

 でもこの思いをすんなり切らせたのは、私の経験からきたようなの。つまり外国人は日本人のフィジカル(肉体)と違って、あのイチモツの大小が激しいのよね。もしシナトラさんのイチモツが特大サイズだったりしたら、それに慣れていない私の肉体へのダメージはかなり大きいかも……。

 シナトラの誘いを拒んだのはサイズへの懸念という衝撃の事実! また、サイズ問題は外国人の恋人(巨根)と別れて慶応の大学生とつきあった話にも出てくる。

 かんじんな彼のイチモツとの感触はハスッパな言葉で失礼ながら形容すると、 まさに“太平洋でゴボウを洗う”テナ感じ。

 小森のおばちゃまは若いころ出版社に勤務していたため、文士絡みのエピソードも多い。「外国旅行中、檀一雄さんとのラブ・アフェアを噂されたの」から一部抜粋しよう。

 檀さんは原稿にゆきづまると、男性のシンボルのアソコを女性に握っててもらわないと書けないという奇妙なクセがあるのね。
「握ってもらうだけで落ち着くんだ」
 そう言うの。だから私、ホテルの檀さんの部屋に行っては握っててあげたの。(中略)こうして私は檀さんが小説を書くための陰の「お手伝い」をしながら、ニューヨーク、ロンドン、パリを旅したの。そして檀さんの原稿が進むから、ヤキモキしていた新聞社の人にはずいぶん感謝されたわ。

 檀一雄の名作料理エッセイ『檀流クッキング』もおばちゃまに股間を握られて書いたのだろうか、と気になってくる。まさに新聞連載だったし。『檀流クッキング』で紹介されている蒸しアワビやキリタンポ鍋などが、とたんに性的なものに思えてきた。そして娘の檀ふみさんはこれを読んでどう思ったのでしょうか……。読んでなくても周囲のひとから聞かされたことはあるのでは……?
 あと、どうでもいいけど「男性のシンボルのアソコ」って表現くどくない? 「男性のシンボル」もしくは「男性のアソコ」でよくない?

 また、性的なかかわりのあった男性だけでなく、女性の友人もデリケートな話をさらっと暴露されている。

 親しい美女の塩沢ときさんは、
「実は私もずっと自分が不感症じゃないかって秘かに悩んでいたの。38歳まではどんな人と寝ても全然よくなかったの。ところがある日、アレッ! って感じたの。それからはもう、とにかくその人に抱いてほしいっていう気持ちが激しくて。まさにお女郎さんの心境ね。そうしたら、それまでは恥ずかしいくらいペシャンコだったおっぱいが、急にムクムク大きくなってきたのよ(以下略)」
 という話も聞かせてくれました。

 不感症時代を経て色欲の虜となったことや貧乳であったことを無邪気に書かれてしまった、塩沢ときさんの心境やいかに……。

 とまあ、この本のエキサイティングな部分を中心に紹介したわけだが、ただスキャンダラスで扇情的なエッセイなのではなく、「若いお嬢ちゃん方がそれぞれご自分の素晴らしいと感じられる人生を送ることができたら」という、あたたかで真摯な思いを込めて書かれた本だということは強調して言っておきたい。また、恋愛だけでなく、映画評論家としての姿勢も語られている。

 映画を見る私の場合、批評しないといけないからといって斜に構えて見たり、細かいところまで見ないといけないとか、難しいことを引き出さないといけないとか考えて見るのではなくて、スッと素直に映画の中に入っていくの。自分の生涯の残り少ない時間をできるだけエンジョイしたいと思うから、私は映画を構えて見たことなんかないのよね。

 専門家としての知識や深い考察を重視されがちないま、良くも悪くもこういうタイプの評論家って少なくなりましたよね。ただ、

 (映画の)キスシーンなんかでヒーローの顔がヒロインに近づいてくると、無意識のうちにソッと瞼を閉じて、くちびるをひそかに開いて受け入れ体勢をとっていることもあるみたい。

 という状況を想像するとウッと思ってしまうし、映画館や試写会場でとなり合わせたひとに少しだけ同情する。

『愛と性』著者近影
 著者近影。この本、意外にもブックデザインは鈴木成一さん。こんなにも朗らかに人生を謳歌した小森のおばちゃまだが、晩年はパーキンソン病と認知症とうつ病を患っていたそうで、切ない。