古いUSBメモリの中身を確認していたら、一時期凝っていたシンメトリー写真が出てきた(撮った写真をフォトショ加工している)。だれに見せるあてもないし、たぶんそのうちUSBメモリを紛失してしまうだろうから、ここにアップしておこうと思う。


 東北のどこか(場所は忘れた)、曇天の桜。毎年2月3月の私は冬に倦んでいて鬱屈し、恨みがましく春のことを考えている。いまの時期に晴れ晴れとした桜の写真を見ても眩しさで眼が潰れるだけなので、このぐらいがちょうどいい。今日は2月の13日、体感的にはやっと冬の折り返し地点を過ぎたところ。

 これも場所は忘れてしまった。東北か北海道、と非常にアバウトなことしか言えない。青空が憎々しい。
(追記:ブログアップ後、東北でも北海道でもなく山梨だったことを思い出しました。うろ憶えにもほどがある)


 これは北海道北竜町のひまわり畑だと思う。「ひまわり畑 ダチョウ 北海道」で検索したらそれらしき情報が引っかかったので間違いない。


 これは調べなくてもわかる。北海道支笏湖の足漕ぎボート。「恋人にしたい湖ランキング」「バレンタインデーにチョコを贈りたい湖ランキング」「上司にしたい湖ランキング」があったら支笏湖を挙げたいぐらい、ボートから見下ろす澄み切った水面や水中遊覧船で見られる湖底の柱状節理が好き。


 同じく支笏湖の、資料館的な建物のなかにいた猫。

 フィルム時代、アルバムを眺めるのは懐かしく愉しい行為だったが、いまは撮った写真をPCで見ていると儚く寂しい気持ちになる。デジカメは気軽で、そのぶんろくに見返さずにただ保存しているものも多い。整理整頓が苦手なので外付ハードディスクやUSBメモリのなかにごちゃごちゃにしまい込んでおり、いずれデータが壊れて失われるんだろうなあと思う。

 2014年1月に映画館で観た映画は『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』『ウォールフラワー』『アイム・ソー・エキサイテッド!』の三本でした。少ない! 週一本は観るように心がけているけど、なかなか……。以下、感想とは呼べないレベルの覚え書き。

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』
 ジャームッシュの吸血鬼映画。タイトル、とても格好いいけど劇場窓口で言えなかったし観たあともまだうろ憶えだったので、邦題があったほうがよかったのでは……と夫に話したところ、『吸血鬼 夫婦善哉』というタイトルを提案された。私はただちに却下したのだが、よく考えるとそれしかないような気もする。永遠に続く倦怠期、それでも唯一の運命共同体である相手と離れられない、吸血鬼のジレンマ。普段は別居婚でたまにいっしょに暮らすというライフスタイルは吸血鬼に適しているね、ナイスアイデアだね、と思ったけど、でも私はあんな駄々っ子みたいな夫、無理です!

『ウォールフラワー』
 アメリカで『ライ麦畑』の再来と話題になった(らしい)青春小説の映画化(原作は買ってあるが未読)。主人公のチャーリーが「壁の花」なのは序盤だけで、すぐに風変わりだけど魅力的なグループの一員となるので、高校生のときにこの映画を観たら「納得いかないな!」と憤ったであろう。そもそも、同じ学校の子が大勢見に来ているアメフトの試合観戦にのこのこと出向き、目立つ生徒に声をかけてみるチャーリーは、最初から超積極的くんじゃないですか! たぶん彼が日本の二十歳だったら、成人式にもいそいそと出かけたはず。まあ、ただのぼっちくんの話じゃなくて、病理から抜け出そうともがく物語でもあるのだけど。晴れやかなのに物哀しい卒業式のシーンは普遍的で、私はもう二度とあの瞬間を味わうことはないのだと思うと、少し寂しくなった。

『アイム・ソー・エキサイテッド!』
 アルモドバルのおっちゃんによるクイアなドタバタコメディ。私がアルモドバルの映画を観るときは、一般的な倫理観というものを完全に無視した物語に度肝を抜かれたい、と思っているので、その点この映画は行き当たりばったりなめちゃくしゃさはあるんだけど意外にお行儀が良くて(下品だけど)、「もっと狂って! 成層圏まで突き抜けて!」とお願いしたくなった。でも俳優の元恋人女性のシーンは好きだな、ヘアメイクや衣装も含めて。

「何歳のころに戻りたい?」と訊ねられてもうまく答えられそうにないが、「じゃあ戻りたくないのは何歳のとき?」だったらいくつか候補を上げられる。そのひとつは反抗期だった中学生のころだろう。反抗期まっさかりの私は、腹を空かせた獣のように毎日わけもなく苛々し、家庭内でヒステリックに怒鳴り散らしていた(家以外ではだいたい床を見て薄ら笑いを浮かべていた)。とくに週末に親と出かけなければいけない際に、苛々は最高潮に達した。文句を言いながらだらだらと準備をし、予定よりもずっと遅れて出発しても反発心はおさまらない。車という狭い空間に閉じこめられるのが苦痛だし、そのなかで家族とからだの一部が接触してしまうのが不快だった。

 そのころ私は劇団四季版の『オペラ座の怪人』に心酔していた。浅利慶太訳の歌詞をすべて暗記していたほどに。車内のぴりぴりした空気に耐えかねて「なにか音楽でもかけようか」と言った親に私が無言で差し出したのは、もちろん『オペラ座の怪人』のCD。

「ジャーンッ! ジャジャジャジャジャーーンッ!!!」
 車内に鳴り響く、あまりにも有名なおどろおどろしい旋律。アンドリュー・ロイド=ウェバー卿のやたら派手でドラマティックな音楽に狭い空間は満たされる。「もっと音を大きく!」私の命令でボリュームはどんどん上げられ、ほとんど爆音ライブ状態に。家族五人を乗せてお墓参りに向かう車は19世紀のパリの豪華絢爛なオペラ座と化した。悲劇的で情熱的なラブストーリーが劇団四季流のやけにはきはきした発声で繰り広げられるなかで、私ひとりだけがご満悦なのだった。

 そんなことを、先日電車で劇団四季の『オペラ座の怪人』の中吊り広告を見て思い出したのでした。いまは料理中に声をかけられたときのみ、当時のヒステリックな状態に戻ることがあります。なんででしょうね。包丁と火が攻撃性を引き出すんですかね。