夫は私より二十近く年上の五十代前半で、そのお母さんは大正生まれである。夫は初婚であり、結婚前はお母さんとふたりで暮らしていた。義母は自分を愛して守ってくれる年下の男のために毎日ごはんをつくり、汚れた服を洗い、シーツを取り替え、お茶をいれていた。「うんと年下の男とふたりきりで暮らす」――義母の目線から見てみると、ロマンス小説や大人の女性向け漫画みたいなシチュエーションだ(登場するのは五十代男性と八十代女性だけど)。そんな桃源郷のような暮らしを、いきなりあらわれた女(私)が婚姻という制度を振りかざしてぶち壊したのだ。

 バレンタインデーに、夫は義母にもらったチョコレートボックスを持って帰ってきた。それを私は夫とふたりで食べた。もちろん義母は私も食べることを想定しているのだろうけど、男が本命彼女にもらってきた手づくりチョコをつまむ浮気相手の女になったような、後ろめたさがあった。そういや、夫の名を呼ぶときの義母の声音にかすかに甘い響きを感じるのは、私の気のせいだろうか。

 欧米の映画では、両親の離婚した子どもが「週の前半は父親の家、週の後半は母親の家」とふたつの家庭を行き来する設定をよく見かける。夫もそれにならってふたつの家を行き来すべきなのではないか、とけっこう本気で考えることもある。

 このように私はつねづね義母に対して罪悪感を抱いていた。だが、先日義母の家をおとずれたとき、私と夫のツーショット写真よりもはるかに目立つ場所に韓流スターらしきカップルの写真が額に入れて飾ってあることに気付き、少し気持ちが楽になった。会ったことのない異国の男女に負ける、息子とその嫁。そもそも義母はとなりのマンションに住んでいて、夫は頻繁におとずれている。「夫の母はとなりのマンションに住んでいるんです」とひとに話すとみな一様にぎょっとした顔になるのが面白い。

 九歳ぐらいのころ、私はヤギのぬいぐるみのポシェットを大切にしていた。お出かけのときはいつもこれを持ちたがった。
ヤギのポシェット

 母はこのポシェットを見るたび微妙な顔をした。なぜかというと、これを入手した経緯に問題があったのだった。当時、父はいつも帰りが遅く、母と口喧嘩になることが多かった。その背景は「家庭の事情」(by トニー谷)なのでここでは割愛するが、とにかく母はある日、「普段通ってる店に連れて行って!」と父に迫った。激しい言い争いの結果、父は憤然としつつも家族を連れて出かけることになった。着いたさきは、ススキノにあるバニーガールのいる店だった。

 明らかに場違いな、小学校中学年の私と低学年の妹と幼児の弟。白と黒のシックな内装を施された、接待用と思われる店でぎくしゃくと食事をする、われわれファミリー。「ほら、ウサギのおねえさんだよ」と母に言われても、そこにいるのはもこもこの着ぐるみではなくエッチな衣装に身を包んだおねえさんたちで、どう反応すればいいのかわからない。九歳というのは「わあいウサギのおねえさんだ!」と喜べるほど無垢な年ごろではないし、理不尽な状況に怒れるほど大人でもないのだ。
 だが、バニーガールは望まれぬ客である私たちをかわいがり、私と妹にヤギのぬいぐるみのポシェットをくれた。なかにはきれいな包装紙にくるまれたチョコレートが入っていた。

 なぜバニーガールのいる店に女児向けポシェットなんかあったのだろう、といま振り返ると疑問に思う。すべて私の脳が捏造した記憶なのではないか、と自信がなくなってくる。実在していたとしてもバブルの崩壊とともにあの店はなくなっただろうし、検索してもそれらしい店の情報には辿り着けない。微妙な話題なので親に訊ねる気にもなれない。「ヤギ ポシェット」で検索するとヤギ革のバッグがいっぱい出てきて少しつらい気持ちになった。だけど、網タイツに包まれた肉感的な脚の印象は鮮明で、実際に私の眼が見た光景だと教えてくれるのだ。

 R-18文学賞仲間である窪美澄さんが不定期連続開催している「美澄の小部屋」というトークイベントに、チームあねもねとして山本文緒先生、吉川トリコさん、そしてわたくしめが参加することになりました。3月8日土曜日に、下北沢のB&Bという本屋さんで19:00スタート予定です。詳細やご予約はこちらからどうぞ。
 B&BはBOOK&BEERの略とのこと。ビール片手に本を愉しめるお店だそうです。「あねもねって?」と疑問に思われたかたは、こちらをご覧ください。『文芸あねもね』とは2011年7月に復興支援チャリティとして電子書籍で発売した同人誌で、いまは新潮文庫より出ています(素敵な声優さんたちによるオーディオブックとしても展開中です!)

 私はほんとうに喋るのが苦手で、ひとりだけ手もとのタブレットに文字を打ってそれが後ろのスクリーンに流れる、みたいな方式にしてもらえないものか……いっそ電子の世界をただよう仮想生命体になりたい……早くニンゲンをやめたい……とほんの少しだけ思いましたが、どうにか頑張って喋りたいです。興味があってご都合のつくかたは、お越しいただけるととても嬉しいです。