中学イタズラ物語 表紙
 先日紹介した秋元文庫ファニーシリーズの、ほかの本を入手した。タイトルは『中学イタズラ物語』。見よ、このカバーイラストのなんともいえない味わい! 発行は昭和51年。昭和51年というと、少女マンガでは『ポーの一族』が完結した年であり、『風と木の詩』が連載開始した年だ。発行当時にはすでに、このイラストのセンスはそうとう古かったのは……? と失礼ながら思う。

 内容は短篇集で、どれも東西中学という名の学校に通うイタズラ好きの男子二人組が主人公になっている。『美味しんぼ』の東西新聞社の元ネタがここに!(たぶん違う)
 この小説のいちばんの特徴は、なんといってもダジャレの多さ。冒頭からこんなやりとりが出てくる。

「(略)おれたちが、いまやろうとしているのは、いたずらではなくて、高倉健、いやちがった、冒険だ」
「これが冒険かなァ――」
 目黒は信じられない顔つきである。
「目黒、なんだい、そのギワクのメザシ、ちがったマナザシは――未知に対する挑戦はすべて冒険なんだ」

 こんなのは序の口で、読んでいてどっと疲労を感じるほどダジャレはしつこく登場する。

「だって、はっきりいうけど、おふたりともあたしの趣味じゃないんですもの」
「なあに、シミーズ?」
「南、なんだ? このいたずらを中止するとでもいうのか」
「ばか、中止もビタミンシーもない。途中でやめるくらいだったら、おれは最初からやらない」

 さらに、当時はかなりおおらかな時代だったわけで、いまだったら編集者や校閲から注意が入るような表現もユーモアとして出てくる。

「わたし、お茶は色が黒くなるからのみません」
「するとインド人はお茶ののみすぎかなァ。でもインド人だから、カレーのたべすぎで黄色になるのがほんとうかもしれないなあ」

 ひゃー差別的! ちなみにこれ、新米の女性教師と校長先生との会話である。ほかにはタブーに触れるようなきわどいネタも。

「梶、それならまかしておけ、うちのママはひとにすすめるのは天下一品だ。うちのまわりはママにすすめられて、みんな十日学会にはいっている」

 この十日学会とは、某宗教団体をもじっているのでしょうね……。いまだったら怖くてうかつにこういうことは書けない。この本のなかで唯一、21世紀でも切れ味を感じさせるギャグだ。

中学イタズラ物語 中面
 なかに出てくる挿絵。「このキャラクターは、もしや?」とお思いになったあなた、正解です。この挿絵に対応している文章は以下の通り。

「へェー、お化けの入院か――そのお化けが交通事故にあったときは<キュー>と叫んだんじゃないかなァ」
「えッ――」
「つまり、オバキュー」

 ダジャレはどうでもいいんですけど、あのう、他人のキャラを勝手に描いていいんでしょうか……?

中学イタズラ物語 裏表紙
 裏。「君もイタズラのライセンスがとりたかったら、この本を読んで勉強して下さい」とのことです。定価は240円だが、古本を500円で購入。

「パピコって名前にするつもりだった」
 十代のある日、母にそう告白された。 「そうか、パピコという名を背負って生きていく、そんな過酷な人生を送る可能性が私にはあったのか……!」と仰天したが、話を詳しく聞いてみると、母のおなかにいるときの胎児ネームがパピコだったらしい。

 グリコから出ているラクトアイスのパピコは、二本がくっついた状態で売られている。それをパキンと割って食べる。子どものころ私はいつも妹と分けあっていた。だが、母の告白を聞いたあとでは、二本のパピコを繋いでいる部分を臍の緒みたいに感じるようになってしまった(すると、潰れた球体が二個セットになっている雪見だいふくは卵巣みたいに思えてくる)。

 二本でひとつのパピコは、パピコと呼びかけられる胎児だった私&そのころの母のセットであると同時に、現在の私&違う名前をもらってべつの人生を歩んでいる私のセットである。パラレルワールドの私は、せめてパピコというトンチキな名前に漢字を当ててごまかそうと考え、「羽陽子」と「把妃子」と「波氷子」のどれが良いか迷ったりしているのだろう。意味を考えると「ピ」には「氷」を当てたいところだけど、パピコはラクトアイスであって氷菓ではないんだよ、とこっちの世界の私はアドバイスしたい。

 書店の講談社文芸文庫の棚で色川武大『狂人日記』(それにしても「狂人」すら変換させてくれないATOKの風紀委員っぷりはなんなのだろう)を見つけ、懐かしさにかられて購入した。前にこの小説を読んだのは二十二歳のゴールデン・ウィークだった。遠距離恋愛していた当時の恋人(無職)に会うため、東京に行った。どこでどう遊ぶか決めていなかったのだが、知らない駅で降りてみようと彼が提案した。「名前がいいし、たぶん公園がある!」と言われ、京王線の芦花公園駅で降りた。

 確かに駅のすぐ近くに公園はあった。私たちはそのなかを歩いた。まだ五月だというのに陽炎が見えるぐらい暑く、植物は凶暴さを感じさせるほど青々と茂っていて、肌寒い北の大地からやってきた私はすぐにしんどくなった。公園を抜けたところに図書館があったので、逃げ込むようにそこに入った。

 館内では寺山修司展かなにかをやっていて少し興味をそそられたのだが、彼が険しい顔で「有料だ!」と言ったので諦め、カーペット敷きのフロアで本を読むことにした。私は本棚から『狂人日記』の文庫を引き抜き、体育座りで読みはじめた。私の読んでいる本の表紙を確認した彼は、「『麻雀放浪記』のひとの別ペンネームで、ナルコレプシーだから麻雀打ちながらころっと寝ちゃうんだよ」と教えてくれた。そのときはじめて阿佐田哲也と色川武大が同一人物であることを知った。

 最後の一行まで読み終わってから図書館を出た。暑さはましになっているものの陽射しはあいかわらず強く健全で、さっきまで浸っていた小説とのギャップにくらくらした。そのあとどこへ行ったかは憶えていない。たぶん格安居酒屋で食事をして、一泊3000円ちょっとのレンタルルームに泊まったのだろう。彼とはそのうち音信不通になった。芦花公園駅もそれきりおとずれていない。

「2002年日韓ワールドカップまであと○○○日」と表示された電光掲示板を見た彼が、「2002年っていったらおれはもう三十歳か! まだ無職だったら死ぬしかないな!」と笑って言っていたことを思い出す。あれからFIFAワールドカップは2002年を含め三回おこなわれて、今年もブラジルで開催されるらしい。無職だろうが有職だろうが、彼がいまも生きていたらすごくいいな、と思う。