福岡にだれかが来ることを「来福」と呼ぶの、すごくおめでたい感じがして好きだ(私はまだいちども福岡をおとずれたことはないけれど)。福岡の新聞などでは「○○さんが初来福した」など日常的に使用されるらしい。私が住む北海道でも、北海道にだれかが来ることを公的に「来道」と呼ぶが、あまり日常的には使われていない。せいぜい、官公庁が発表する「来道客数」などでしか見かけない言葉だ。

 実際に使われているかどうかはさておき、「来福」に並ぶおめでたい雰囲気になる都道府県はないだろうか、と考えてみた。結果、富山の「来富」、愛知および愛媛の「来愛」、徳島の「来徳」あたりが良いのではないでしょうか。「来愛」はちょっとこっぱずかしいけど。

 反対にBADなニュアンスになってしまう都道府県のチャンピオンは、兵庫の「来兵」だろう。なにやら軍靴の音が聞こえるきなくさい字面になってしまった。次点で、身の危険を感じる熊本の「来熊」。山で熊に遭遇したら死んだふりをしないで、走って逃げないで、目を逸らさずにじっと見つめて、瞳と瞳で語りあって、そのままゆっくりと後ずさってSAYONARAして。それが野生の熊とコミュニケートするときの、ジャスティス。

 今日、信号待ちしていたら、となりにいた中学生ぐらいの女の子が松屋のテイクアウトのビニール袋に顔を突っ込み、「うーん、いいにおい!」と感に堪えないような声を上げた。それを聞いた私は、「そんなにいいか? 松屋のにおいが?」と内心突っ込みつつ、はっとさせられた。牛めしの香りに感激する少女のように、もっと日々のささやかな幸福を慈しんで暮らさなければ、と反省した。

 たとえばそれは松屋の牛めしのフレーバー、冬の寒い日に通り過ぎるラーメン屋の湯気、暖房のうえに寝そべる猫のだらりと伸びた腕、親指のつまさきの生地が極限まで薄くなっている靴下がなんとか今日一日持ちこたえたこと、数年前の正月になぜか家族で松屋に行ったところ母が「わあすごくおいしい! つめたいキムチとあったかいお肉のギャップが最高!」と大声で騒ぎ出してとても恥ずかしい思いをしたこと、店内の注目を集める母に対しほかの家族は他人のふりをしたこと、エトセトラ、エトセトラ。

 中学生のころ、仲の良い子ふたりが揃って担任教師に恋をした。ふたりは秘密の交換日記をはじめ、三人グループなのに私ひとりあぶれることとなってしまった。きゃっきゃ言いながらノートをやりとりするふたりに、「○○ちゃん(私のこと)は見ちゃ駄目だからね!」と言われたときの疎外感と徒労感をいまも憶えている。いま、その先生のことを思い出そうとしても、サイズが大きすぎる緑系の色の背広しか浮かんでこない。ふたりにはあの背広も王子さまのコスチュームに見えていたのだろうか。背広の色だけでなく、全体的にバッタっぽかった気がする。

 私は当時、バスケ部かなにか運動系の部活に属するクラスメイトの男の子に、ほのかな想いを寄せていた。しかし、あるとき彼が髪型を変えたら魅力を感じなくなり、さらに顔が大きいことも気になりはじめて一気に気持ちが冷めてしまった。中学生の恋心なんてそんなものだ。その彼は漢字一文字のちょっと格好いい名字だったため、本人が好きというよりは、名字が好きだったのかもしれない。中学生にとって「好き→将来結婚するかもしれない!」なので、名字が間抜けだとそれだけで駄目なのだ。いまでも小説などを読んでいて同じ名字の人物が出てくると、どきっとする。やっぱり名字が好きだっただけみたいだ。ライトノベルによく登場するらしい小鳥遊(たかなし)くんという名の子がクラスにいたら、好きになったに違いない。

 それから歳月が流れ、私は東京(だと思っていたが一、二年のキャンパスは埼玉の茶畑のまんなかだった)の女子大に進学した。それまではずっと共学育ちだった。一年のころ、中国文学の講義を受けていると、となりに座っているグループのひとりがお喋りをはじめた。するとそのグループのほかの子が、「先生の声が聞こえないから静かにしてよ! 私、この先生好きなんだから!」と注意するではないか。私はすごくびっくりした。その先生のことを好きな子は、ほかにも複数人いた。どの子も付属の女子校上がりだったり、地方の女子校出身者だった。「先生に憧れる」という風習は、女子校育ちだと大学生になっても残っているのだ。合コンに参加し他大学の男の子とつきあうことと、先生に憧れる(あくまで憧れなのでモーションをかけたりはしない)ことが同時進行でおこなわれる世界。

 この先生は三十代後半ぐらいの、わりとすらっとしているけれどとくに格好いいわけでもない男性だった。話が面白くて人気があるといったわけでもなかった。その先生のことや授業内容を思い出そうとしても、「中国の博物館は日本人だと高い料金を取られるので、いつも内陸から来た訛っている中国人のふりをして入る」という雑談しか記憶に残っていない。