去年の1月に、劇場で観た映画はブログに記録しようと決めたのだが、3月で止まってしまっていた。もう3月の下旬だけど仕切り直しで今年の1月ぶんから書いていくようにしたい。今年はきちんと12月まで続けたいと(いまは)思っている。いや、せめて6月までは。

『毛皮のヴィーナス』
 ポランスキーおじいちゃんの新作。前作『おとなのけんか』は4人の会話劇だったが、今回は終始ふたりのみ。そういやポランスキーの長編デビュー作『水の中のナイフ』も3人しか出てこない話だったので、最近の流れは原点復帰なのだろうか。
 欲望を介した男女のパワーゲームであると同時に、ポリティカル・コレクトネスについての話でもある。マチュー・アマルリックはものすごく巧かったが、エマニュエル・セニエは役柄的にもっと若い女優のほうがよかったのでは……。まあ、ポランスキーの「この役を自分の奥さんにやってほしい!」という気持ちもよくわかるけど……。文化系隠れミソジニー男である脚本家のトマが断罪される話だが、トマを演じるマチュー・アマルリックが大きな眼を欲望に濡らしてふらふらになってるさまが最高にチャーミングでぜんぜん憎たらしく思えないのが、いいのか悪いのか。まあ眼福だったのでよし。

『マップ・トゥ・ザ・スターズ』
 クローネンバーグ版『サンセット大通り』あるいは『マルホランド・ドライブ』つまりハリウッド残酷物語。クローネンバーグの前作『コズモポリス』は観ているあいだ完全に置いてきぼりをくらい、自分がなにを観ているのかもよくわからなくなってしまったが、これはちゃんと面白かった。清と濁のコントラスト(まあどちらも狂気ではあるわけだが)が鮮やかで、どす黒く悪意たっぷりの話のわりには後味爽やか。
 珍しく金髪のジュリアン・ムーアは平素と違い(いや、プライベートを知っているわけじゃないけど)最高にバカそうで、ロバート・パティンソンはやっぱりクローネンバーグ作品限定でうつくしくて、ミア・ワシコウスカはキュートで(役柄は凄まじいが)あのボブヘアを真似たいなあと思って映画館のトイレの鏡を見て現実に戻りました。

『ANNIE/アニー』
 祝・ラジー賞「最低リメイク・パクリ・続編賞」受賞! 元シンガーという設定のキャメロン・ディアスがいちばんウタヘタだったのはご愛敬。秘書役のローズ・バーンがチャーミングで良かった。映画のなかでさんざん明るく爽やかな「Tomorrow」を聴いたあとに、エンドクレジットで駄目押しのように流れる平井堅バージョンのねっとり歌唱のハーゲンダッツみたいな味の濃さよ……。

『百円の恋』
 とにかく主演の安藤サクラがすごいボクシング映画。私が32歳だったら、映画館から出るなり近所のボクシングジムを検索しただろう。途中までしつこいシーンやギャグにううーむ……と冷めていた部分もあったが、終盤で肉体の持つ説得力がすべてをねじ伏せてなぎ倒していく。安藤サクラのフットワークのうつくしさ、そして白目を剥いたぼこぼこの顔の壮絶さ。
 トレーナー役のひとは演技とは違う真実味があり、あのジムの本物の従業員を起用したのだろうかと気になったのだが、トレーナー兼俳優とのことで納得。しかし、ホテルで襲われるシーンに笑いを入れてくるのは観ていてもやもやしたし、いま思い出してもやっぱりもやもやする。

 年の瀬でお忙しい時期と思いますが、書いたものがあちこちに載っているのでその情報をお知らせしにのこのこと出てまいりました。

掲載誌

 小学館の小説誌「きらら」で連載していた『フィッターXの箴言』が1月号で最終回を迎えました。約1年間おつきあいいただきありがとうございました。春には書籍化する予定ですが、本ではけっこう書き直していて終盤の展開がまったく違うので、今回の掲載ぶんは幻の最終回!です。

 徳間書店の「読楽」1月号に「さばきにあう」というタイトルの短編小説が掲載されています。過去にも何度か載せてもらっている「帰省と初恋」モチーフ短編のシリーズです。今回の舞台は利尻島。タイトルは以前おとずれたときに島にあった小屋の壁に打ちつけられていたキリスト看板から取りました。

「特選小説」2月号に「女は二度逃げる」という短編を書きました。いいにおいのするふっくらとした熟女に抱きしめられたい……と思いながら書いた小説です。「特選小説」は18歳以上が対象のアダルティな雑誌ですので、ボーイズ&ガールズはお気をつけください。

それにしてもどの雑誌も正月感たっぷりの表紙で、年末の焦燥感が否が応でも高まって叫び出しそうになりますね……。

 恥の多い生涯を送って来ました、というのは太宰の『人間失格』の有名な一文である。相対的に見て自分の人生は恥が多いほうなのか少ないほうなのか判断できないが、恥について考えるとき、私はいつもゴージャス松野を思い浮かべる。

 ゴージャス松野とは、2000年ごろのミレニアム時代にワイドショーを賑わせた人物だ。女優の沢田亜矢子の夫でありマネージャーだったが、DVで訴えられ、泥沼離婚騒動に発展した。離婚成立後は美容整形したりホストクラブに勤務したりプロレスデビューしたりと、キワモノとしてテレビの見世物になっていた。そういう活動の一環としてアダルトビデオにも出演していた。私は10年以上前にそのAVをラブホテルのテレビで観たことがある。

 棒読みの寒いモノローグが全編にわたりちりばめられている、ドキュメンタリータッチの作品だった。女性を背に乗せお馬さんになって臀部を叩かれながら四足歩行したり、パッヘルベルのカノンをBGMに歌舞伎町を歩きながら珍妙な台詞をカンペを読んでいるような口調で語ったり、ひりひりする映像が目白押しで「観る拷問」といった様相を呈していた。極めつけは、いざ挿入というところでうまくいかなくなってしまい、「ひとがいると緊張するから」というようなことをスタッフに言って撮影を中断させるくだりだ。結局、スタッフを排除して固定カメラでの撮影で終了するのだが、仕事に徹するプロ意識あふれるAV女優とのコントラストが印象的だった。

 観たときはただの嘲笑対象でしかなかった。だが、それから年月が経つうち、私の頭のなかで意味を持ちはじめた。たとえば小説を書きながら「苦心して恥をかくなんて私はなにをやっているんだろう」と思ったとき、あんなに無様に恥を晒している人間がいるんだから、とゴージャス松野の存在を思い出して自分を励ます。恥なんてたいした問題じゃないのだ、と私の内なるゴージャス松野は言うし、事実それは正しい。

 ここまで書いてから検索してみたところ、DMMにそれらしきAV(18歳未満は見ないでね)があったので、300円払ってストリーミングで視聴してみた。記憶違いしていたところも多々あった。10数年ぶりに鑑賞した私は「思ったほど痛々しくないな」と感じた。10数年のあいだに、世のなかにはもっと痛々しく恥ずかしい事柄がたくさんあると学んだのだろうか? あと、ドキュメンタリーではなくフェイクドキュメンタリーなんだな、と理解した。当時は演出に気付かないほどピュアだったのだろうか?

 その後松野氏は、鬱病を患ったり肝不全で心肺停止状態になったり僧侶になったり整形崩れで顔がちょっとすごいことになっていたりプロレスを続けたりしている。そもそも福島の置屋の息子として生まれ育ったらしい。「置屋の息子」という言葉には特別な物語性がある。最後に、AVのなかの松野氏の語りを引用したい(文章で読むよりも、抑揚のない棒読みを聞くほうが味わい深いのだけど)。
 

「誤解を恐れずに言うと、ひとから誤解されるということは、そんなに怖いことじゃない。自分のこころのままに生きるということは、つねに戦い続けるということだから」

「AV初絡みが終わった。やたらと照明が明るく、私の邪悪なこころまで白日の下に晒された。緊張し、口が渇いた。こんな私をあなたは、そしてあいつはどう見るんだろう」

「宴のあとの寂しさが胸に迫る。堕落を目論む思いすら、快楽に溺れたいまの私には遙かかなたのことだった。私は決して強い人間ではなかった。不十分な人間だからこそ(ここで囁きボイスに)悩み続けている」