満天の星空はうつくしいが圧迫感があって怖い。広大な宇宙がさらに膨張し続けていることを考えると、恐怖でぞわぞわする。それと同じようなことを、私は増殖し続けるプリキュアにも感じる。

 説明するまでもないが、プリキュアは女児向けのテレビアニメシリーズである。毎年キャラクターや設定を一新するのが特徴で、初代プリキュアがあっさり二代めに切り替わったときはけっこう驚いた。2009年からは、歴代の全プリキュアが登場するプリキュアオールスターズ映画が毎年春に公開されている(ちょうどいま、六作めが全国で上映中)。プリキュア増殖の恐怖は、このオールスターズ映画のビジュアルを見てもらうとわかっていただけると思う。

『映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合』
映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合

『映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!』
映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!

『映画 プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ! 世界をつなぐ☆虹色の花』
映画 プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ! 世界をつなぐ☆虹色の花

『映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち』
映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち

『映画 プリキュアオールスターズNewStage2 こころのともだち』
映画 プリキュアオールスターズNewStage2 こころのともだち

『映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち』
映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち

 画像はすべて映画.comより拝借。女児たちの欲望をかきたてる、毒々しいまでにぎらついたカラーリング。星を溜めて輝く、頭蓋骨のサイズに対してあまりにも大きすぎる瞳。初回は「奇跡の全員大集合」だったのに以降は毎年やっていて特別感がなくなっちゃっているのは、卒業後はじめて開いた同窓会が盛り上がり、定例化したようなものだろうか。年々人員が増えていく間違いさがしのようなポスターを眺めていると、わけもなく不安をかきたてられる。もはや現代アートとして成立しているのではないか。

 プリキュアのことを知らずに「二十一世紀のヘンリー・ダーガー(的な人物)による作品です」と言われたらあっさり信じてしまうかもしれない(ヘンリー・ダーガーはペニスの生えた少女たちの叙事詩を描き続けた、いわゆるアウトサイダー・アートの代表格)。もしも十年後にタイムスリップする機会があったら、まっさきに映画館に行って最新作プリキュアオールスターズのポスターを確認したいと思う。

 政治には保守的な考えを持っているひとが家庭についてはリベラルな思想の持ち主だったり、性のことには凝り固まった考えのひとが経済について革新的だったり、というのはよくあることだ。人間はひとつの軸で語れるものではない。唐突だけど、リベラルと自認しているがみそ汁に関しては保守、というひとやその逆のひとも多いのではないか。

 政治思想の傾向を二次元座標にあらわす、ポリティカルコンパスというものがある。いくつかの質問に答えると、縦軸は政治的価値観、横軸は経済的価値観を示す図に整理され、自分の考えを客観的に知ることができる。そこで私はみそ汁版ポリティカルコンパスを提唱したい。

 日本版ポリティカルコンパスの質問は、「夫婦は同姓であるべき」「小学校の給食は民間委託してもよい」などだ。いっぽう、みそ汁版ポリティカルコンパスには、

 ・顆粒出汁は使わない
 ・みそ汁の実は一種類だけ
 ・じゃがいもを入れてもよい
 ・かぼちゃなど甘い食材は邪道
 ・ベーコン入りもあり
 ・茄子を入れると色が濁って気持ち悪い
 ・トマトは入れない

 といった質問が並ぶだろう。ちなみに私がこの質問に答えると、「はい・いいえ・はい・いいえ・いいえ・いいえ・はい」になる。

 二番めの「みそ汁の実は一種類だけ」というのは、マンガ『美味しんぼ』の有名な回において、新婚の山岡さんが栗田さんのつくる朝食に駄目出しをする場面で言及されている。豆腐とわかめのみそ汁を食卓に出した栗田さんに、「俺は、みそ汁の実は一種類だけのほうが好きだ。実をいくつも入れると、味がにごる」と山岡さんが文句を言うのだ。恐るべき保守性!

 三番めの「じゃがいもを入れてもよい」だが、私はじゃがいもを一般的なみそ汁の実だと思っていたけれど、どうやら世間ではそうでもないらしい。結婚した当初、夫に「じゃがいものみそ汁はべつにいいけど、じゃがいもが溶けてざらざらになっているのは苦手」と言われ、考えたこともなかった価値観に驚いた。そしてじゃがいもはちょっと目を離すとすぐにざらざらになる。

 私はつい先日、ずっと気になっていたが試したことのなかった「みそ汁に卵を落とす」という行為に手を出してみた。仕上げに卵を入れて火を入れ軽くかき混ぜたみそ汁は、鍋のあとの雑炊から米を引いたような感じで想像以上においしく、いままでこれを食べずに損をしていたと反省した。政治的にリベラルでも保守でも個人の自由だけど、味覚に関してはリベラルのほうが人生が愉しくなるだろうなあと思う。

 8日の下北沢B&Bでのイベント「美澄の小部屋」vol.2にお越しくださったかたがた、ありがとうございました。私は声と喋りかたがどうにも不明瞭なのでお聞き苦しいところも多々あったと思いますが、あたたかいお客さんに恵まれて愉しく過ごすことができました。当日の内容や雰囲気につきましては、吉川トリコさんが文芸あねもねブログに報告記事を書いているので、そちらを見ていただければと思います。なお、チケット代にプラスして受け取った募金と出演者のギャランティは、日本赤十字社の東日本大震災義援金に寄付させていただきました。

 イベントの話の流れで窪美澄さんに「小説家になりたいと思ったのはいつ?」と訊ねられて、いままで取材などで何度も訊かれたことのある質問だったのにもかかわらず、忘れていたエピソードをふいに思い出しました。その場ではうまくまとめて話すことができなかったし、またすぐに忘れ去ってしまう可能性が大いにあるので、ここに書き留めておこうと思います(以下、ですます調はやめます)。

 ――中学二年のころだった。昆虫が詰まったかごのようなクラスのなかで、異質な雰囲気をまとっていた女の子に私は強く惹かれた。彼女は「ザ・瓶底眼鏡!」という感じの分厚い銀縁眼鏡をかけ、眉間に中学生らしからぬ険しいしわを寄せ、陰毛のように縮れた髪を長く伸ばしてきちきちとひっつめにしていた(ポニーテールではなくあえてひっつめ頭と呼びたいヘアスタイルだった)。休み時間にはこれ見よがしに本を読んでいた。やがて彼女は私と同じ茶道部に入り、そこそこ親しくなる。彼女は小説を書いていて(中世ヨーロッパ風ファンタジー小説や中国風ファンタジー小説だった)、それをときどき私やそのほかの友人に読ませてくれた。

 友だちとして好きだったのか恋心だったのか、当時もいまも不明だ(正直に言うと私は三十路のいまでも「人間的に好き」と恋愛感情との違いがよくわからない)。でも、とにかく私は過剰に彼女のことを好きだった。彼女にかまってほしくて、読んでいる本を取り上げたり接触したり、なにかとちょっかいを出した。そのせいで彼女に鬱陶しがられるようになる。「あんたのことがだいっきらい」と宣言されて、私の胸は昂奮に震えた。「今後一回でも私に話しかけたらぶつから!」とすごまれても懲りずににやにやと話しかけ、頬をぴしゃりとぶたれた。その痛みに私はますます燃え上がり、完全に彼女にまいってしまった。

 だが彼女は決定的に私を避けるようになり、小説を読ませてくれることもなくなった。やがてクラス替えで疎遠になり、部活にも顔を出さなくなり、話す機会もほぼなくなった。彼女に認めてもらいたい、彼女を見返してやりたい、という気持ちから私は小説を書こうと思いつき、その動機をずっと忘れていたにもかかわらず中二の病の結果として私はいまも小説を書いている。

 彼女は「薬剤師になりたい」と語っていた。市内で最も頭が悪いと言われていた中学のなかで中くらいの成績だった彼女が薬学部に行けたかどうかは不明だが、調剤薬局に行くと、たまに彼女を思い出して薬剤師さんの顔と髪質を確認する。