政治には保守的な考えを持っているひとが家庭についてはリベラルな思想の持ち主だったり、性のことには凝り固まった考えのひとが経済について革新的だったり、というのはよくあることだ。人間はひとつの軸で語れるものではない。唐突だけど、リベラルと自認しているがみそ汁に関しては保守、というひとやその逆のひとも多いのではないか。

 政治思想の傾向を二次元座標にあらわす、ポリティカルコンパスというものがある。いくつかの質問に答えると、縦軸は政治的価値観、横軸は経済的価値観を示す図に整理され、自分の考えを客観的に知ることができる。そこで私はみそ汁版ポリティカルコンパスを提唱したい。

 日本版ポリティカルコンパスの質問は、「夫婦は同姓であるべき」「小学校の給食は民間委託してもよい」などだ。いっぽう、みそ汁版ポリティカルコンパスには、

 ・顆粒出汁は使わない
 ・みそ汁の実は一種類だけ
 ・じゃがいもを入れてもよい
 ・かぼちゃなど甘い食材は邪道
 ・ベーコン入りもあり
 ・茄子を入れると色が濁って気持ち悪い
 ・トマトは入れない

 といった質問が並ぶだろう。ちなみに私がこの質問に答えると、「はい・いいえ・はい・いいえ・いいえ・いいえ・はい」になる。

 二番めの「みそ汁の実は一種類だけ」というのは、マンガ『美味しんぼ』の有名な回において、新婚の山岡さんが栗田さんのつくる朝食に駄目出しをする場面で言及されている。豆腐とわかめのみそ汁を食卓に出した栗田さんに、「俺は、みそ汁の実は一種類だけのほうが好きだ。実をいくつも入れると、味がにごる」と山岡さんが文句を言うのだ。恐るべき保守性!

 三番めの「じゃがいもを入れてもよい」だが、私はじゃがいもを一般的なみそ汁の実だと思っていたけれど、どうやら世間ではそうでもないらしい。結婚した当初、夫に「じゃがいものみそ汁はべつにいいけど、じゃがいもが溶けてざらざらになっているのは苦手」と言われ、考えたこともなかった価値観に驚いた。そしてじゃがいもはちょっと目を離すとすぐにざらざらになる。

 私はつい先日、ずっと気になっていたが試したことのなかった「みそ汁に卵を落とす」という行為に手を出してみた。仕上げに卵を入れて火を入れ軽くかき混ぜたみそ汁は、鍋のあとの雑炊から米を引いたような感じで想像以上においしく、いままでこれを食べずに損をしていたと反省した。政治的にリベラルでも保守でも個人の自由だけど、味覚に関してはリベラルのほうが人生が愉しくなるだろうなあと思う。

 8日の下北沢B&Bでのイベント「美澄の小部屋」vol.2にお越しくださったかたがた、ありがとうございました。私は声と喋りかたがどうにも不明瞭なのでお聞き苦しいところも多々あったと思いますが、あたたかいお客さんに恵まれて愉しく過ごすことができました。当日の内容や雰囲気につきましては、吉川トリコさんが文芸あねもねブログに報告記事を書いているので、そちらを見ていただければと思います。なお、チケット代にプラスして受け取った募金と出演者のギャランティは、日本赤十字社の東日本大震災義援金に寄付させていただきました。

 イベントの話の流れで窪美澄さんに「小説家になりたいと思ったのはいつ?」と訊ねられて、いままで取材などで何度も訊かれたことのある質問だったのにもかかわらず、忘れていたエピソードをふいに思い出しました。その場ではうまくまとめて話すことができなかったし、またすぐに忘れ去ってしまう可能性が大いにあるので、ここに書き留めておこうと思います(以下、ですます調はやめます)。

 ――中学二年のころだった。昆虫が詰まったかごのようなクラスのなかで、異質な雰囲気をまとっていた女の子に私は強く惹かれた。彼女は「ザ・瓶底眼鏡!」という感じの分厚い銀縁眼鏡をかけ、眉間に中学生らしからぬ険しいしわを寄せ、陰毛のように縮れた髪を長く伸ばしてきちきちとひっつめにしていた(ポニーテールではなくあえてひっつめ頭と呼びたいヘアスタイルだった)。休み時間にはこれ見よがしに本を読んでいた。やがて彼女は私と同じ茶道部に入り、そこそこ親しくなる。彼女は小説を書いていて(中世ヨーロッパ風ファンタジー小説や中国風ファンタジー小説だった)、それをときどき私やそのほかの友人に読ませてくれた。

 友だちとして好きだったのか恋心だったのか、当時もいまも不明だ(正直に言うと私は三十路のいまでも「人間的に好き」と恋愛感情との違いがよくわからない)。でも、とにかく私は過剰に彼女のことを好きだった。彼女にかまってほしくて、読んでいる本を取り上げたり接触したり、なにかとちょっかいを出した。そのせいで彼女に鬱陶しがられるようになる。「あんたのことがだいっきらい」と宣言されて、私の胸は昂奮に震えた。「今後一回でも私に話しかけたらぶつから!」とすごまれても懲りずににやにやと話しかけ、頬をぴしゃりとぶたれた。その痛みに私はますます燃え上がり、完全に彼女にまいってしまった。

 だが彼女は決定的に私を避けるようになり、小説を読ませてくれることもなくなった。やがてクラス替えで疎遠になり、部活にも顔を出さなくなり、話す機会もほぼなくなった。彼女に認めてもらいたい、彼女を見返してやりたい、という気持ちから私は小説を書こうと思いつき、その動機をずっと忘れていたにもかかわらず中二の病の結果として私はいまも小説を書いている。

 彼女は「薬剤師になりたい」と語っていた。市内で最も頭が悪いと言われていた中学のなかで中くらいの成績だった彼女が薬学部に行けたかどうかは不明だが、調剤薬局に行くと、たまに彼女を思い出して薬剤師さんの顔と髪質を確認する。

 美容室に行くのが苦手だ。髪のまとまりが悪くなって「そろそろ美容室に行かなきゃ」と思いはじめてから実際に行くまで、一か月ぐらい経ってしまう。もしも美容師さんと結婚していたら自宅の居間でビールを飲みテレビを眺めながら切ってもらえたのに……と思うが、どうシミュレーションしても「美容師と結婚する自分」を想像することができない。まだ「ひよこのオスメス鑑定士と結婚する自分」「鬼師(鬼瓦をつくる職業)と結婚する自分」のほうが想像できそうだ。

 ずっと同じ姿勢で疲れることと、会話で消耗することが、美容室を億劫に感じる理由だろう。「今日はどこか行くんですか?」「最近服買いました?」「仕事はどうですか?」といったおきまりの質問をされても、私はうまく会話を転がせない。あいまいなフリーランスのため、仕事について訊ねられると言葉を濁すか微妙な嘘をついてしまうので、なるべくそっち方面には触れてほしくない。以前はわざわざ混んでいる土日に行き、勤め人のふりをしていた。

 べつに美容師さんは客の個人情報を引き出してそれを闇に流してマフィアから報酬を得ているわけではなく、会話の糸口がないから自分語りをさせようと仕向けているだけだ。ならば「ビットコインのマウントゴックス社の外国人CEOによる会見、インパクトありましたよね!」「ゴーストライター騒動の佐村河内氏の痛んだ長髪、トリートメントしたい!」とか話してくれたらそこそこ乗ることができるのにと思うが、美容師さんは休日が少なく毎日慌ただしいので、その手の重要性の乏しいニュースをかき集めている余裕はないだろう。

 文庫本を持ち込むひともいるらしいけれど、「その本、どういう話なんですか?」と訊ねられる確率が高そうだ。ポイントを押さえてあらすじを伝えるのはわりと技術を必要とするし、私は口頭で説明することが全般的に不得手である。その点、ルポルタージュなら「○○事件の話です」などと簡潔に答えられるのでいいかもしれない。だが、事件の説明を求められたら、「えっと、監禁された家族がお互いに殺しあって……」などと言って場の空気を重くしてしまう。それに毎回陰惨な殺人事件の本ばかり読んでいると、「あぶないひと」のレッテルを貼られ、ただでさえ微妙な空気がさらに気まずくなるのではないか。

「美容師は服装からファッションの傾向を読み取って髪型を考えるので、お気に入りの服を着て行くべき」と世間ではよく言われるため、買い忘れたサラダ油を購入しにコンビニへ出かけるときのような格好では行けない。数時間巨大な鏡に対面させられるので、メイクもそれなりにする。だが、切った髪やカラー液やパーマ液にまみれる行為は、民俗学でいうところの「ハレ」「ケ」「ケガレ」だと「ケガレ」にあたる気がする。明るく小洒落たガラス張りの店内よりも、あなぐらのような雑居ビルの地下のほうがふさわしいのかもしれない。

 つまり、まとめると私が求める美容室はあなぐらのような雑居ビルの地下にあって、客がみんな陰惨な殺人事件の本を読んでいて美容師がそれを普通の光景だと受けとめている店、ということになるけれど、それじゃとても行きたいとは思えないし瞬時に潰れる。