断捨離なる行為が市民権を得て久しい。私はいつも、断捨離=断シャリ=シャリを絶つ=低炭水化物ダイエット、と連想してしまうのだが、それはさておき、私が中学生のころ母は断捨離的な行為に励んでいた。もちろん当時は断捨離という言葉はない。母は「死ぬ準備」と呼んでいた。物置部屋の整理をすることを死ぬ準備とは大げさだが、母は夜ごと「死ぬ準備をしてくる」と言っては物置部屋に消えていった。何年も続いた死ぬ準備は、家の建て替えにともない終了した。その建て替えた家も、いまは潰して存在しない。

 かつては私にも、死ぬ前にぜったい処分しておきたいものがたくさんあった。いまでも「見られるのは厭だなあ」と思うものはいろいろあるが、不慮の事故で死んだら夫にPCや押し入れの中身を見られるのはしかたない、と諦めている。この心境の変化は、頭のなかでつくった話(しかも性的な事柄を含む)を文章にして公表して金銭を得ている、いわば恥のプロフェッショナルになったことと関係していると思われる。

 だが、恥のプロフェッショナルになると、死後に身内に見られるだけでなく大々的に公表されてしまう危険性がある。昨年、太宰の中高時代のノートや日記が寄贈され公開されるというニュースを見かけた。まるで想いびとの名前を書くように「芥川龍之介」と何度も書いていたり、自身のペンネームの構想を記したページもあるそうだ。いわば黒歴史ノートである。私も先日、19歳のころのポエムノートを発掘し、その内容のひどさに死ぬ思いをした。太宰同様にペンネームの構想らしきものも書かれていたのだが、墓場どころか来世や来来世まで持って行きたいと思うようなおぞましい文字列だった。

 まあ、私ごとき、よっぽどドラマチックな死にかた(ドバイの超高層ビル、ブルジュ・ハリファの先端で割腹自殺など)をして注目を集めない限り、死後にあれこれ発掘されることなんてないだろうけど。

 いま店頭で売られている「きらら」5月号に『フィッターXの箴言』第3回が載っています。この連載は、私がいままで書いたなかでいちばんカジュアルな小説なのではないでしょうか。たぶん。第1回のぶんだけお試しでウェブで読むことができますよ。月刊誌って毎月締切がやってくるぞ! ということに驚いている今日このごろです。
きらら5月号
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 消費税が8%になって数週間経つが、いちばん増税を実感するのは、スーパーのレジで合計金額を告げられたときだ。思いのほか高額になっており、算数のできない私はレジでぎょっとすることが多い。そこで、レジに行く前に合計金額がわかるうえに会計がスムーズになる、画期的なシステムを考えてみた。

レジシステム1
 買いものかごにバーコードリーダーをつける。商品をかごに入れる際にピッとスキャンすると、金額が表示される。

レジシステム2
「スキャン→かごに入れる」を繰り返しながら買いものすると、金額表示パネルにかごの中身の額が合算されていく。会計前にすでに購入品の情報が収集されているので、レジでは一回スキャンしてそのデータを移すだけ。不正防止のため、現行のセルフレジのようにかごに重量を感知してチェックする機能をつける必要がある。

 初期投資は必要だが、混雑を解消できるし人件費を減らせるし、店にとってもメリットだらけでいますぐにでも開発に取りかかるべきでは、もちろん実用化の際は私にアイデア料を、と昂奮したのだが、「合計額がわかると余計なついで買いを控えるようになり、財布の紐がかたくなる」という問題に思いあたり、夢がしぼみました。