「パピコって名前にするつもりだった」
 十代のある日、母にそう告白された。 「そうか、パピコという名を背負って生きていく、そんな過酷な人生を送る可能性が私にはあったのか……!」と仰天したが、話を詳しく聞いてみると、母のおなかにいるときの胎児ネームがパピコだったらしい。

 グリコから出ているラクトアイスのパピコは、二本がくっついた状態で売られている。それをパキンと割って食べる。子どものころ私はいつも妹と分けあっていた。だが、母の告白を聞いたあとでは、二本のパピコを繋いでいる部分を臍の緒みたいに感じるようになってしまった(すると、潰れた球体が二個セットになっている雪見だいふくは卵巣みたいに思えてくる)。

 二本でひとつのパピコは、パピコと呼びかけられる胎児だった私&そのころの母のセットであると同時に、現在の私&違う名前をもらってべつの人生を歩んでいる私のセットである。パラレルワールドの私は、せめてパピコというトンチキな名前に漢字を当ててごまかそうと考え、「羽陽子」と「把妃子」と「波氷子」のどれが良いか迷ったりしているのだろう。意味を考えると「ピ」には「氷」を当てたいところだけど、パピコはラクトアイスであって氷菓ではないんだよ、とこっちの世界の私はアドバイスしたい。

 福岡にだれかが来ることを「来福」と呼ぶの、すごくおめでたい感じがして好きだ(私はまだいちども福岡をおとずれたことはないけれど)。福岡の新聞などでは「○○さんが初来福した」など日常的に使用されるらしい。私が住む北海道でも、北海道にだれかが来ることを公的に「来道」と呼ぶが、あまり日常的には使われていない。せいぜい、官公庁が発表する「来道客数」などでしか見かけない言葉だ。

 実際に使われているかどうかはさておき、「来福」に並ぶおめでたい雰囲気になる都道府県はないだろうか、と考えてみた。結果、富山の「来富」、愛知および愛媛の「来愛」、徳島の「来徳」あたりが良いのではないでしょうか。「来愛」はちょっとこっぱずかしいけど。

 反対にBADなニュアンスになってしまう都道府県のチャンピオンは、兵庫の「来兵」だろう。なにやら軍靴の音が聞こえるきなくさい字面になってしまった。次点で、身の危険を感じる熊本の「来熊」。山で熊に遭遇したら死んだふりをしないで、走って逃げないで、目を逸らさずにじっと見つめて、瞳と瞳で語りあって、そのままゆっくりと後ずさってSAYONARAして。それが野生の熊とコミュニケートするときの、ジャスティス。

 今日、信号待ちしていたら、となりにいた中学生ぐらいの女の子が松屋のテイクアウトのビニール袋に顔を突っ込み、「うーん、いいにおい!」と感に堪えないような声を上げた。それを聞いた私は、「そんなにいいか? 松屋のにおいが?」と内心突っ込みつつ、はっとさせられた。牛めしの香りに感激する少女のように、もっと日々のささやかな幸福を慈しんで暮らさなければ、と反省した。

 たとえばそれは松屋の牛めしのフレーバー、冬の寒い日に通り過ぎるラーメン屋の湯気、暖房のうえに寝そべる猫のだらりと伸びた腕、親指のつまさきの生地が極限まで薄くなっている靴下がなんとか今日一日持ちこたえたこと、数年前の正月になぜか家族で松屋に行ったところ母が「わあすごくおいしい! つめたいキムチとあったかいお肉のギャップが最高!」と大声で騒ぎ出してとても恥ずかしい思いをしたこと、店内の注目を集める母に対しほかの家族は他人のふりをしたこと、エトセトラ、エトセトラ。